百聞は一見に如かず
、、と言うけれども。
■
昨日、3年ぶりに服を買った。
3年前に転職してから、ほとんど私服を着る機会もないままに忙しなく労働にあくせくしていたが、最近ようやく余裕(と言えるほどのものではないがスキマ時間)が作れるようになってきた。
石の上にも三年。
今では割とバカにされがちな諺だけど、あながちバカにできたものではないなと、今なら思う。正直僕もバカにしていた側だが、昔から言い伝えられてきた言葉というのは、意外と真理を突いているのかもしれない。
そんなことを考えながら、近所の大型ショッピングモールに来た。
■
昔からファッションは好きだ。
だから学生の頃はアパレルショップにもよく行っていた。
ただ、僕は(というよりほとんどの人がそうだと思うが)店員に話しかけられるのが大の苦手だ。それと、試着している時にカーテンの外から聞こえてくる「どーですかー?」という謎のプレッシャーも、購入した後の「入り口までお持ちします」という中途半端な気遣いも。なんならアパレル店員そのものが苦手だ。
3年ぶりにあの感じを味わうのかーと小さく覚悟を決めて目当ての店に入った。
ぶらぶらと店内を物色すること2〜3分。(さぁ、そろそろくるぞ)と思いながら気になったコートを手に取り鏡の前で軽く羽織った。(さぁ、こい)
すると背後から「サイズとか合わなかったら他のもお気軽にお試しくださいね」という声。
(ほら来た)あ、ハイ、アリガトウゴザイマス。
・・・。
あれ、もう終わり?試着室への案内とか、他の商品の提案とかしてくるんじゃないの??まぁ、たまたま控えめな人だったのかも。と思いながら物色再開。
10分くらいかけて気になるものを数点見つけたので、いざ試着しようと思って商品を抱えて店内をキョロキョロうろうろ。
僕の記憶通りなら、この状態でアパレル店内をうろつけば、全身に生肉を括り付けてピラニアのいる水槽に飛び込んだ時と同じような現象が起きる。
・・・はずだった。
けど、一向に誰も話しかけてこない。近寄ってもこない。絶対に彼らの視界には入っているのに。
無反応なら、それはそれで別にいいんだが、いざ声をかけられないと(試着室って勝手に入っていいのかな、、)と不安になったので、結局自分から話しかける羽目になった。
そして案内されている途中も店員は特に話しかけてこない。違和感を覚えながらもスマートに試着室に誘導され
「では、ごゆっくり」
静かに閉まるカーテンを見ながら狐につままれたようだった。
■
持ち込んだ服を順番に着比べながら(もしかしたら、僕の記憶が大きく改竄されていたのかもしれない。。なんか、警戒心全開で無愛想な客を演じてごめんなさい)という気持ちになった。
その後も、結構長いこと試着室に入り浸っていたと思うが(僕は昔から試着が長い)、一向に何の声も聞こえてこない。何ならカーテンを開けて出た後も、特に店員はこちらに寄ってくる気配もないし、何事もないように服をたたんだりうろうろしている。
何かがおかしい。
いや、これは僕がおかしいのかもしれない。往々にして人間の記憶というのは曖昧で、いつも大げさに編集されるものだから、3年前も、実際こんな感じだった、、のかも、、とも思ったが。
否!
多少大げさに記憶が改竄されていたとしても、ここまで客に無関心だったはずはない!
3年前は、絶対もっとグイグイきてた!
ということは、この3年でアパレル業界が変わったということになる。
だとしたら素晴らしい変化だ。うん、素晴らしい!(謎の上から目線)
今回僕が入った店は3店舗だったが、どの店もほぼ今書いたような対応だった。
もちろん、購入後に入り口までお持ちされることもなかった。
■
ここでタイトルに戻る。
百聞は一見に如かず、と言うけれども。
本当にそうだな、そうだよな。と、心から実感した。
3年も経てば中1が高1になっている。そりゃアパレル業界も変化・進化しているのは当然だ。
けど、もし仮に、僕がこのまま10年以上服を店で買わない人生を送っていたとしたら、きっと僕はアパレルショップに対して嫌なイメージを持ったままオジさんになっていただろう。
たかが服を買いに行くという何でもない行動でも、今回のような新鮮な気づきを得られたことが何だか嬉しかった。
また行きたいと思った。
加えて、いつも休日はYouTubeとTwitterと漫画と自炊で消費してしまっていたが、もっと外に出なければマジで時代の匂い分からなくなるなと、危機感も若干芽生えた。
せっかく京都という素晴らしい土地に住んでいるのだから、もっと動いていかないと。
百冊の本を読むのもいいけれど、一日外出した方が学びがある場合もあるのだから。
■
というブログ。
さて、新しい服と気づきをまとって、今年の秋はどこへ行こうか。