遠浅の死海。

文字の海に溺れて死にたい。幸福の国。

何か大きな決断をするとき

何か大きな決断をするとき

 

今、君が身をおいている場所から、どこか目指したい場所へ(例えばオーディエンス側からプレイヤー達が闘うフィールドへ)最初の一歩を踏み出す瞬間───

 

最後の最後で足踏みするか、一線を踏み越えられるかどうかを決めるのは、今までに君の胸を熱くしたものだけだ。

 

胸を熱くしたものは何だっていい。本当に何だっていい。

 

好きな漫画やアニメの、あのキャラクターのあのセリフ、

何度でも観たい映画のあのシーン、

昔出逢ったあの人に言われたあの一言、

生涯忘れないであろうあの景色、音楽、

日常のふとした瞬間の光、

人間の純粋な感情や行動(善意や悪意も含めて)、

 

思い出せるだけ思い出す。

 

その一つ一つが、あの日の君を一瞬でも、確かに熱くさせたこと、胸の奥を震わせたことを思い出す。

 

そういった確かな記憶だけが、伸るか反るかの狭間に立った君の背中を否応なしに押してくれる。

 

これは情熱的な・感情的な話ではない。

 

ただただクールに、ロジカルに。そういう事実が現在の自分を形作っているのだという、リアルな血の気配と鼓動を再認識するということ。

 

 

自分と向き合うというのは、口で言うのは簡単だ。

 

皆、向き合うという言葉に騙されがちだが、それは単純に、鏡の前に立つことではない。(もちろん、比喩的な意味も含めて)

 

自分と向き合うというのは、無意識の底なし沼へ、真っ暗な海底へ、息が続く限り、深く深く潜ることだ。

 

マリンスノーのように降り積もった自分の破片を、何度も何度も目に焼き付けることだ。

 

意識がフッとぶ寸前まで、何度も何度も目に焼き付けることだ。

 

そうして再び海面へ顔を出し、束の間の息苦しさから解放された瞬間、漠然と言う名の不安は消える。

 

目の前を覆っていた靄が晴れる。

 

気付いた時にはもう、君は向こう側にいるだろう。

 

そうして陸に上がった後は、自分の足で一歩ずつ、前へ前へと歩いていくのだ。