遠浅の死海。

文字の海に溺れて死にたい。幸福の国。

自分の未来と真正面から向き合う方法

今日、母からラインが来た。

 

地元の図書館司書の求人(正社員)の募集が出てるから受けてみたら?という内容だった。

 

というのも、僕は一昨年の今頃、司書になりたくて3ヶ月間だけ猛勉強して、一気に資格を取得している。実際、今でも“本”というものに対しては興味はあるし、司書という職業も面白そうだなと思う。

 

けど、まぁ、所詮その程度なのだ。

 

興味がある、とか、面白そう、とか。その程度の好奇心で僕は、20代の貴重な一夏とそこそこの大金をぶっこんで当てのない未来へ投資する事ができた。その資格を今活かせていない事に対しては、少し勿体無いなぁとは思うけど、別に、全く後悔はしていない。ただ、我ながら(今よりも遥かに)馬鹿だったなぁと思う。

 

でもさ、若い時はだいたいみんな馬鹿じゃないですか。

 

馬鹿だからこそ無謀になれて、馬鹿だからこそ夢を見れて、馬鹿だからこそ挑戦できて、馬鹿だからこそ見返りのない努力もできた。それはそれで美しいと思う。そんな過去が僕にはある。

 

それを踏まえて、僕が今日、何を言いたいのかというと。

 

過去、自分の意思で“投資”してきた「時間」「お金」「人間関係」含む、あらゆる経験は、ある一定の時期に達すると自分を決めつける【宗教】に変わる。世間一般に、思い出とか美談とか言われているものだ。

 

確かにほとんどの人間には、そういった“自分教”が必要だ。何故ならそれはそれぞれの帰る場所であり、生きてきた!という証明であり、最後の最期、どうしようもなくなった時に救いになる(もしくはトドメを刺してくれる)ものだから。

 

だから僕は人間の持つこの生き様特性を否定はしないが、ふとした時に自分教にとらわれて仕舞っている状態の人に触れると内側から嫌悪感が溢れてくる。理由は単純で、僕は未来を生きたい人間なのに、自分教は過去しか内包してないから。もっと言うと“今”すら無い。

 

それって死よりも怖いものだと思いませんか。

 

今を生きる!とか、未来だの希望だのを必要以上に声高に唱えたいとか言ってるわけではなく。僕はシンプルに飽きっぽくて、常にカオスで新鮮な状態でありたいのだ。

 

母からのラインを受けてそんな嫌悪感を抱いてしまったが、おそらく母は自分教にとらわれているわけでもなく、ただただ僕が今の仕事よりも司書になれた方が幸せだろうから、こんなチャンス見つけたから教えてみたよ〜くらいのノリだったのだろう。でも申し訳ないが、僕はそんな風に感じてしまった。だって正直、転職して図書館で働くことなんて、今の環境を手放してまでチャレンジする事ではないと思ったし、色んなものを天秤に掛けて考えても実際そうだ。

 

だから、母にはそのようなことを伝えた。

 

過去、どれだけ何かに投資したとしても、それが今の自分に関係があるかと言われたら、僕の場合はほとんど無いと言える。小学校時代、真面目一辺倒で何も疑わず大人の言う事に従っていたことも、中学校時代、自分を中心に世界は回っていると本気で思い込んで全てに前向きに取り組んでいたことも、高校時代、アメフト部に入って血反吐を吐きながらも今が青春の全盛期だと信じ切って体をボロボロにしたことも、大学時代、無理をしてチャラけて、その反動で鬱っぽくなって、それでも自分は正しいのだと疑わず中二病をこじらせたような気持ち悪い成人になったことも。

 

全て、今の僕には関係無い。

 

積み重ねて来た過去は、ただの過去だ。それ以上でも以下でも無い。

その過去に意味をつけたり、言い訳として利用するのは今の自分だ。

 

僕らが自分の未来と真正面から向き合う方法はただ一つ、過去と今を完全に切り離すこと、それしかない。

 

実際「君はそれが出来ているのか」と言われたら、あまり自信はないけれど。気持ちとしては、そう在りたい。

 

こんな似非哲学みたいな文章を書いてしまうのは、最近、自分の将来とか今改善すべき課題みたいなものについて、前よりも深く考えようとしている所為かもしれないが、なんか、また変化してるのかな。

 

でも、変化していると少しでも感じれる事は、少なくとも過去には生きていないということだと思う。これからの時代とか、正直よくわからない事ばかりだけど、過去になっていく様々を、これから自分が投資していく様々を、今や未来を意味付ける宗教にはしたくないなって、今日はそんな話です。

 

前向きに生きる事は、よく過去を受け入れて云々・・みたいに語られるけど、本当に前しか見てないのなら、過去という概念はその人の内側には存在しないはずではなかろうか。

 

あなたが過去を考えるとき、僕の哲学をどう思うのでしょうか。

 

んーー、難しい話になってしまいそうなので、以上、終わりと致します。