遠浅の死海。

文字の海に溺れて死にたい。幸福の国。

敗北の美学(男って馬鹿なんだから)

(前置き)

敗北には、その”人となり”がよく現れる。

 

 

最近たまたま見たテレビで、あるタレントさんがギャンブルについてこう話してて。

 

「いや、もちろん勝ちたいとは思ってますよ。勝ったらヨッシャー!ってなりますし。でも、こころのどっかで”打ちのめされたい”っていう、なんかこう、自虐的な快楽?みたいなもんもあって、それを求めてしまってる自分もいるんですよ」

 

僕はギャンブルは一切しないけど、”この感じ”は何故かすごく共感できる。これは僕が男だからなのか、僕が僕だからなのかはわからないけれど、前置きで書いた一文に要約されると思う。

 

敗北には、負けたその人の”美学”が強く現れる。

 

勝者ばかりがフィーチャーされてしまう世の中だけど、ほとんどの人は人生の中で”負けること”の方が圧倒的に多いはず。いわゆる(その他大勢)の一部になる方が。僕も今のところはその中にいるし、だからこそ僕にとってのリアルは勝利よりも敗北の中に在る。

 

勉強やスポーツ、容姿や資産、人間関係などなど。僕らは生まれた瞬間からあらゆるジャンルの競争の海へと放り出される。そして、よほどの先天的な優位性がない限り、否応なしに敗北を重ねていく。後に努力や運で多少の挽回はできるにせよ、無垢な頃に味わった”負けた”という記憶はずっとずっとその人の中に遺り続ける。

 

そんな鈍色の十字架を背負った僕らをカタルシスへと誘ってくれるものが芸術であると、僕は思う。そして、僕を一番はじめにカタルシスへと誘ってくれた芸術が少年漫画やアニメだった。あの仮想空間の中では勝者と敗者がハッキリと分かれている。主人公と呼ばれる者は必ず勝つ。その者に味方する者たちも含めて。

 

多くの人(特に幼い頃)は、勝者(主人公)に意識を向け、憧れるだろう。ONE PIECEの麦わらの一味しかり、NARUTOの木の葉隠れの里の忍者たちしかり。しかしながら、僕はそうじゃなかった。僕は昔から敗者側に立って、ストーリーを追っていた。主人公のライバルや絶対悪とされる敵こそが、僕を強くしてくれるヒーローだったし、ものすごく憧れた。

 

小さい頃から自分ではよく分からないまま「いい子だ、いい子だ」と言われ続けて、勉強もスポーツもそこそこ出来てしまった僕はそのまま「いい人」であり「優等生」になっていった。当時の僕はそれが心地よかったのだと思うし、そう在ることが僕であることなのだと思っていた。敗者や悪に憧れる感情を抱きながらも。

 

そして僕が20歳を過ぎた頃、急にメンタルがショートした。意識高い系を無意識に演じ続けてきた反動で、僕の感情エンジンは完全にエンストを起こしたのだ。この話は前にも何度か書いたし話すと長くなるので割愛するが、つまり誰もが一度は経験するであろう人生最大級の敗北・・【挫折】を経験したのだ。

 

それから半年以上、自分の部屋から出られなくなった。心も、はっきりと壊れる感触がした。意識が本当にモノクロになって、ほとんど死んでいるのと変わらない状態にまで陥った。その時の記憶はあまりないが。僕は、どこかで”安心”していた。生まれて初めて、ちゃんと”敗北”を味わえたことに。

 

幼い頃から敗者に憧れ、それに救われてきた僕だったが。負けることは醜く、自らの価値を否定するものという外部から侵略してくる概念に、いつの間にか覆われてしまっていたらしい。それは水と油のように、僕の中で対立を続け、容器が割れてしまうまで止めることはできなかった。

 

だから、取り返しがつかなくなる寸前まで追い詰められて、生まれてはじめて、僕は負けた。敗者になった。それは他人から見てどうこうという話ではなく、あくまで僕自身の閉じられた世界の話ではあるが。あの経験は自分の人生に於いて最大級に意味のあるものだと、心の底からそう思う。

 

それから何が変わったか。詩を書くようになったり、人付き合いが悪くなったり、サブカルやメンヘラというワードが日常の中に溢れたり。とにかく、まぁ、ちょっと変になった。もう、以前ほどいい人ではないし、優等生でもない。時々、壊れる前に戻りたいと思うこともあるけれど、遅かれ早かれ今と変わらない自分になっていたとも思う。

 

敗者とは、ひとりの人間を構成する上で欠かせない”要素”だ。

 

一度も負けたことの無い人間などいないだろうが、もしそんな人がいたらきっと、すごく薄っぺらい人間だろう。負けて、そこから立ち上がろうとした経験のない人、「逃げなかった」という記憶を自分の裡に持っていない人。そんな人は、きっと脆い。ツマラナイ。20歳以前の僕みたいに。

 

・・・。

 

あれ、、なんでこんな話になってるんだ、、?(・△・)

 

書き始めた時は、もっと、こう、かる〜い感じで、ペンパイナッポー!ペンペンペン!みたいなノリでまとめようと思ってたのに。いつの間にか超お堅い文章になってるじゃん。

 

あのですね、僕がこのブログで言いたかったのは、まぁ、アレですよ。

 

自分が死ぬ時は《道に飛び出した子どもをかばって死ぬ》とか《宿敵(いないけど)と決闘とかやって負けて死ぬ》とか、まぁ昔の漫画やアニメでありがちなベッタベタなスチュエーションで死にたいなーみたいなことを「男って馬鹿だよねー。」って感じで書きたかった、はずかったのに。

 

僕は小説とか漫画をかいても絶対に伏線は回収できないタイプの作家になるでしょうね。だから(と言ったらすごく語弊があるけども)詩を書いてるんだと思う。⇦あくまで僕の話ですよ。

 

最近、こういう長文を書いてなかった所為もあって途中から混乱してきますね、これ。来年からこのブログと並行して【LINEブログ】も始める予定なのに、先行き不安だー。

 

【URL】

http://lineblog.me/keita1991/

 

でも来年も書きたい時に書きたい様に書けるだけ全部を書いていくぞー、おー。