遠浅の死海。

文字の海に溺れて死にたい。幸福の国。

事実には感情が付き纏う。

人間には感情があって、動物にも植物にも、微生物にも感情はある。(無根拠な予想)

 

人間同士が関わり合うことで起きる凡ゆる問題は、どれもこれも”感情”が原因になっている思うんです。思うんですって、こうして改めて言うことでもないですけど。

 

今回ブログに書こうと思ったテーマは『感情って、僕にとっては邪魔だなぁ』ってことでして、将来的にはAIのような思考に近づいていければこれ幸いとも考えてます。こんなことを言うと、冷たい、怖い、つまらない、みたいな意見(イメージ)を持たれる可能性大ですけど、それをわかった上でも僕にとって感情は邪魔なもの。

 

以前ツイッターで、「僕は感情をコントロールできる」的なツイートをしたんですけど、実際はまだ100%のコントロールはできてなくて、現時点ではだいたい80〜90%くらいの精度です。残り数%の壁がなかなか超えられない。

 

そもそも何故僕が感情に対してそこまで束縛魔になろうとするのか。その理由は、僕は”感情に振り回されやすい性質の人間”だから。例えば、一度何かに対して「好き」という感情を抱けば、その対象以外のことが本当にどーでもよくなってしまう。自分の気力や体力の限界をかなりオーバーして、いろいろ取り返しがつかなくなるレベルになるまで「好き」という感情を放出し続けてしまうんです。それが功を奏す時もあるけれど、ほとんどが後々しんどい状況を生み出します。自分がそういう性質であることを自覚したのは20歳を過ぎたあたりからで、そのあたりから自分の感情というものに対しかなり慎重に向き合うようになっていきました。

 

そうすると、世界の見え方みたいなものが段々と変化してきましてね。大きな話でいうと戦争とか、小さな話でいうと色恋が絡んだ揉め事とか。そういう問題を目にするたびに、「こうすれば良くない?」って結論が頭に浮かぶようになったんです。でも、その結論は実は誰もが心のどこかで当然のようにわかっていることで、でもじゃあなんでそのわかりきっている結論に最短距離で向かおうとしないのか?と訊くと、大抵の場合、ロジカルじゃないふわふわした答えしか返ってこない。最後には決めゼリフのように「だってしょーがないじゃん」って、みんな言う。そんなものであっさり結論に蓋をしてしまう。

 

僕はいつも人間が出すこの答えにモヤモヤしてる。

 

ただ、ここでいう結論っていうのは、つまるところが【正論】で。正論っていうのは誰かを攻撃するために生まれた”知性の武器”なんですよね。それを言っちゃあおしまいよぉ!っていう最終兵器。それは僕もわかっている(つもりです)けど、感情を徐々にコントロールできるようになってから、僕にとって人間の感情っていうのは”ハムスターの回し車”に見えてきまして。(唐突な例え話)

 

 

とりあえず人間って、感情が持つエネルギーに身を任せて必死で必死で走る走る走り続ける!でも今いる場所からは全く動けていない。例えば餌を食べたい・水を飲みたいという目的があったら、さっさと回し車から降りて餌場・水飲み場に行けばいい。そんな事はわかってる。でも誰も回し車から降りようとしない。同じ場所をぐるぐる  ×(無限)回り続ける。全員が全員そうじゃないけど、僕には大多数がそう見える。

 

 

ハムスターにとって回し車を回すことはストレス発散の意味があるらしいです。人間が感情に身を任すのも似たような理由からではないでしょうか。ハムスターはあくまで例え話ですけど、僕は僕を含む人間さんたちに「餌が欲しけりゃ餌場に行けばいいし、水が飲みたきゃ水飲み場に行けばいいじゃん。しかもそれは結構すぐそばにあったりするよ」って言いたい。

 

人間には気持ちがあるよ、感情があるよ、それぞれの複雑な事情だって、割り切れん部分だって、たくさんたくさんたくさんあるんだよ。って、それこそ僕からすれば正論で。それを言ったらもう前に進めないじゃん!って思っちゃう。そんなことは人間であれば大前提の話であって、兎にも角にも何か問題が起きた時は。

 

1.まず結果を受け入れる

2.その結果に対して自分で評価する

3.より良い結果を出すためにはどうすればいいかを考える

4.決めたことに従い行動する

 

なんかビジネス書みたいな言い回しになったけど、ビジネスだろうが何だろうが、何か問題があってそれを解決して前に進むためにはこれしかないんじゃないかなぁ。そして、この1〜4の流れの中に感情は一切いらない(っていうのが正論・理想論)。実際は、ほとんどの人間がそんな風にはできないのが現実。でも、僕はそれじゃモヤモヤし続けることになる。だから感情をコントロールして、少しでも前に進みたい。

 

 

ーーー。

 

 

ここまで書いてアレですけど。これは誰かに対して書いている文章じゃなくて、完全に自分自身に向けて、頭の中に浮かんだ言葉を吐き出しているだけの文章です。ここまで読んでくださった方にはなんか言い訳がましい感じで申し訳ないんですけど、時々こういう”なんかまともなこと言ってそうで何にも的を得てない駄文”ってのを書きたくなっちゃうんですよね。(普段のブログも全部そうかもしれないけど。。)

 

あと最初の方に「感情は邪魔」とか言ってますけど、ちょっと補足します。感情は絶対に必要なものです。(というか要らないからって捨てられるものじゃないんですけど)だから、邪魔というより「良い距離感を持って付き合っていきたい友人」という認識です。はい。

 

結局何が言いたいのか。

最初から言いたいことなんて何もないのか。

ちょっと長い文章を書くと頭の中が混乱しますね。

 

読んでくれる人のことを考えると、もっとラフな文章の方がいいんじゃないかなぁって思いながら、途中まで書いて(やっぱりアップするのやめようかな)とか考えたり、そんなことより今日作ったポテトサラダはめちゃくちゃ美味だったなぁとか。人間が考えるべきことって、そんな反射神経に任せた感情だけで十分な気もしたり。え?)

 

そもそも「感情」っていう壮大すぎるものをテーマにするべきじゃなかったですね。(今更)

 

こんな意味不明な文章を書いてると「感情をコントロールできてる」とか言いつつも、もしかしたら僕も回し車の中から降りられていない人間の一人なのかもしれません。禅問答だな、これは。うん。

 

さぁ、そろそろ眠くなってきた。

 

脳みそがギアを落とせと命令するよ。

 

人間らしさを追求すれば。

 

AIなんて不良品だ。

 

感情は自然そのもの。

 

私は神様になれるでしょうか。

 

なれたら世界を平和にできる?

 

自信がないなら「YES」と言うな。

 

僕らは一瞬しか生きられない。

 

だから一生は光だね。

 

それ以外は全部闇かな。

 

そんなの知らないわからない。

 

感情だって同じこと。

 

偉そうに振る舞うよりも。

 

人間らしく振り回されよう。

 

僕らは一生しか生きられない。

 

それ以外は全部未題。

 

この流れは止められないから。

 

自信がなくても「YES」と言うよ。

 

脳みそピリピリ縮れても。

 

幻想列車の車窓を眺めて。

 

一層深みに入り込んだら。

 

君次第で全部見たい。

 

さぁ、そろそろ言いたくなってきた。

 

(眠)