遠浅の死海。

文字の海に溺れて死にたい。幸福の国。

相乗効果と相性は未知数(三章編成)

《第一章》
4月末日。
5年以上振りに徹夜をした日。
僕は生まれて初めて【合コン】という儀式に参加してきた。きっかけは僕が広告代理店で働いていた頃のクライアント(TMさん27歳)が誘ってくれたからだ。正直、TMさんとはプライベートでは会ったこともないし、そんな誘いをいただけるほど仲良くはないと思っていた。悪い人ではないけれど。まぁ、TMさんからの誘いに限らず。僕はそういう勢いしかない若者が集う儀式的なイベントを極力避けてきた。そんな僕が何故に今回は参加したのか。別に暇だったからとか彼女が欲しいからだとか、そういった明確な理由はない。
ただ、なんとなく、気が向いたから。
それだけの理由で参加することにした。
それ以上でも以下でもない。
大事な事ほど”なんとなく”を信じて道を選ぶのが僕だ。
僕はそういう人間だ。
で、今回参加した合コンの詳細はこちら。
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男女比:6vs6
場所:串カツ屋(ちょっとお洒落)
会費:3500円
メンバー:下記
♂:TM, TK, TP, TT, KM, UKA(僕)
♀:MO, SYK, RR, SH, MK, HAL
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とりあえず結果から言うと。

やっぱりダメでした。

何がダメって、女性陣は予想以上にギャルギャルしいし、会話は内容よりノリを重視するし、「男は女を無条件でエスコートするものでしょ?」と自分の下品さや無知を棚に上げてお姫様を気取っているし。男性陣に関しては、僕以外は全員友達同士なので、見えない仲間意識バリアを張ってるし、せめてTMさんチョットはフォローしてよ!と思いながら全然助けてくれないし、一人孤独に戦うしかなく、まるで動物園の猿の檻の中に入り込んでしまったような錯覚を覚えた。
別にそういう方々の”存在”を「ダメでした」と言うわけではなくて、僕には扱いきれない種類の人間だから【ダメだ】という話で、まぁ相性の問題です。そもそもTMさんの人間性から集まる人種のタイプは大方予想できたし、こうなる事を覚悟の上で参加したんですけどね。ただ実際、年齢も前後1〜2歳しか変わらないのに「ここまで居心地が悪くなることがあるのか!」と驚きました。経験してみないと分からないことはこの現実にはまだまだ沢山あるのかもしれない。そのことを再認識できただけでも、僕としては参加した意味があったんだと、無理やり意義を見つけ出す僕は偉い。
約3時間の食事が終わった後、女性の半分はそそくさと帰宅。残った女性3名と男性6名でボーリングをすることになった。まず選択肢がカラオケかボーリングの2択って。やはり人間は年齢ではなく”属性”で分けられるべきだなぁと思った。永遠に10代から抜け出せない人間というのは、僕が想像しているよりずっと多いのかもしれない。とにかく、無理やり大学生に気分を戻して9名でボーリング場へ移動。
このボーリングで、僕は貴重な体験をすることになる。
 
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《第二章》
まず、はじめに。
僕はボーリングが嫌いだ。
器械体操や格闘技などの体一つで行うスポーツは得意だけど、野球やサッカー、バスケットボールなどの球技全般が昔から苦手で、だからボーリングも嫌い。それに加えて、同年代の(僕の周りだけかもしれないが)男同士でするボーリングは何故か、必ずと言って良いほど”金を賭ける”という謎の風習があり必然的に僕は損をすることが多いから余計に嫌い。
今回は女性がいるので賭けはないと思っていたが、女性陣は1ゲームだけ適当に投げて帰宅。(何しに来たんだよ..)で、男6人だけが残された。僕は、(ここで解散かな?でももう終電も行っちゃったしどっかの漫画喫茶にでも入って始発でも待つか)と考えていたら突如『よっっしゃああああああ!!!今から朝まで投げまくるでーーーーーーーー!!!!!!フォオオオオーーーーーーーーーーー!!!!!!!』と、一番お調子者のTKが叫んだ。これは比喩ではなく、そこそこうるさいボーリング上全体に響き渡るほどの大声で、文字どおり、彼は叫んだ。GW中なので、人も結構いたのに。まさに猿。そして有無を言わさず【男だけの朝までエンドレスボーリング大会】が始まった。開始時刻は深夜1時。始発は朝6時頃だから、つまり5時間ほど投げ続けることになった。僕にとっては拷問以外のなにものでもない。自分で行くと決めて参加した結果だから仕方がないけれど。
僕の周りの男たちを含め、基本的に猿たちはボーリングが上手い。そして1ゲーム目で、こいつらも相当なレベルだと確信した。ちなみに僕の平均的なスコアは80〜100くらい。普通にガターも出すし、スペアやストライクなど取れたら相当ラッキーだ。一方猿たちは、普通にカーブとか投げるし、スペアもストライクも取れない方が珍しいくらいのレベル。スコアは全員150〜170くらい。こんな連中に僕が太刀打ちできるはずはない。しかも、当然のように賭けも発生した。しかし個人戦ではなく、3対3のチーム戦形式だ。チーム戦なら負けたチームが勝ったチームに100円とかなので、負けても一人当たりのダメージは低い。僕の実力は最初のゲームでバレてるので、少し気をつかってくれたのかもしれない。
そしていよいよ、長い夜が始まった。
ここまできたらもうやるしかない。負けた分は今日の会費だと思うことにしようと腹をくくり、僕は全神経を込めて投げ続けた。すると、どうだろう。始まって数ゲームはスコアが100に届くか届かないか程度だった僕が、深夜3時を過ぎたあたりから段々と普通に100以上のスコアを出せるようになってきた。まぁ、慣れもあると思う。今までも、何度か投げてるうちに感覚を覚えてきて120くらいまでなら出せるポテンシャルは僕にはある。だから今回もとりあえずその辺を目指して投げていた。しかし、どういうわけか。深夜4時を過ぎた頃、眠気も疲れも溜まってきた頃なのに、スコアが120を平気で超え始めたのだ。他の連中に混ざっても大差ないほどに、僕はボーリングが上手くなっていた。ここまでのレベルに来たことは未だかつて一度もない。徐々に猿たちも僕の成長ぶりに驚き始め、知らず知らずに仲良くなっていた。彼らも僕と同じかそれ以上のハイスコアを出し続ける。僕はそれに必死で追いつこうとする。もはや何が目的で今日合コンに来たのかわからなくなっていた。そんな中、深夜5時、というか朝の5時頃。そろそろ大会も終盤にさしかかってきた時に、ついに僕は覚醒した。何と、スコアが【200】を超えたのだ。
「!!!」
ボーリングをしたことのある人なら、このスコアがどれくらいのものなのかだいたい分かるとは思うが。とにかく、僕が一生出すことはないだろうと思っていたレベルのスコアが出たのだ。さすがの僕も声をあげた。柄にもなく、全員とハイタッチを交わした。あんなに嫌いだったボーリングで、こんなに高揚感を得ることができたのは本物の奇跡。僕は(あの”なんとなく”は、この瞬間につながっていたんだ)と思った。結局、賭けもそこまで損をすることもなく、まぁいい感じで大会は終了した。
 
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《第三章》
人間関係は化学反応だ。
個人で出来ることなど高が知れている。だから人は人と出会い、言葉を交わし、未知に触れ、人と人とは相乗効果で大きく飛躍する。しかし、そのような良い反応が起こる事は少ない。現実は、人に会うたび自分が侵食され、気持ちを揺らぶされ、疲労感だけが残る事の方が多い。少なくとも、僕はそうだ。だから、個人でいる方を選びがち。そんな僕がそれでも会う人は、良い反応が起こりそうな匂いのする人だけ。20歳くらいから、僕はそうして生きてきた。間違ってるとも思わない。でも、100%正しいわけではないのかもしれない。
今回のボーリングで200を超えるハイスコアをたたき出せたのは、紛れもなく一緒にプレーをしたやつらのおかげだ。自分にとって敵わないと思うほどの、できれば避けたい(帰りたい)と思うほどの試練の中に自らを自らで置くことで成し得た奇跡だ。だから、まだ会ったことのない人と会うことは大事だ。でも、大事なんだけど、それは、分かってるけど、勇気を出して飛び込んでも、ほとんどの場合、打ちのめされて終了ということが多いのもまた事実。でも、数%。数%だけは、その試練に打ち勝ち、自分の能力を高めることができる。それが今回、僕自身によって証明された。
最初は噛み合わあい化学反応だった。それでも、じっくりじっくり時間と体力と精神力をかけて挑み続ける。すると、どこかで反応が変わる瞬間が来る、こともある。高校時代、アメリカンフットボーラーだった頃は、この感じを試合中に何度も味わっていた。この場でしか味わえない緊張感。一つのミスが引き起こす敗北という名の血の凍るようなプレッシャー。毎回逃げ出したい気分になって、それでも僕は試合に挑んだ。なぜなら僕のチームメイトは強かったし、頼もしかったから。小心者の僕を、強き者へと引き上げてくれるから。そう、あの感じ。試合の間だけだけど、僕は個人では到達できない高みまで昇ることができた。あの体験は、今の僕の強さに大きく影響を及ぼしている。
今まで生きてきて、一回でも”強き自分”に出会ったことが有るか無いか。
それが、人の”地の強さ”を決めているのだと、僕は思う。
個人で出来ることは高が知れている。それでも、できるだけ個人で生きていきたいと思う人もいる。そんな僕のような人間が、若いうち、時間と体力と精神力のあるうちにすべきことは、人(未知)と会い続けることなのかもしれない。そうすれば、何度かに一回は、また高みへ昇る体験ができるかもしれない。その場限りの飛翔だとしても、その瞬間に出会った”強き自分”は、自らの無意識の中に確実に蓄積されていく。確実に。そして知らず知らず、自分の血となり肉となる。自らを支える”地面”になる。僕らが高くジャンプしたり、早く走ったり、またゆっくりと安心して歩くためには強固な地面が必要だ。特に「個人で進もう」と決意した人には欠かせない要素だ。だから僕は、地を固める。今のままでも問題はないが、もっと高く飛ぶために。もっと早く走るために。もっと確実な一歩を歩くために。自ら雨を降らし、風を吹かせ、耕し、また整える。その繰り返しが未来そのものになる日まで。