遠浅の死海。

文字の海に溺れて死にたい。幸福の国。

【10代に共感する奴はみんな嘘つき】

文學界4月号に掲載されている最果タヒさんの短編小説。

 

とりとめのない感情を原液のまま体内に流し込まれるような感動を得た。

 

最果タヒさんの小説は感情の密度が高く、先月読んだ「渦森今日子は宇宙に期待しない。」と同様、鮮明なカオスを纏っている。

 

主人公の唐坂カズハ(17歳・女子高生)は、一見キャラクターの中で誰よりも大人びていて聡明で、個人的には好きなタイプ。でも「10代」「女子高生」「学校」という檻の中では、その聡明さが全てにおいて枷となる。世界は理屈で成り立っていない。特に10代の世界なんて、理屈は無慈悲に悪とされ、正しさは愚かさとして処理される。物語の中で唐坂カズハが考えることや言動は筋が通っていて正しい。ただ、その正しさを裏付ける根拠や経験がまだないから、ひたすらに脆い。それでもそうして生きることしかできなくて、戦っているつもりがなくても戦いの渦に放り込まれて、傷つけられているつもりがなくても心は確かに傷ついていく。

 

「かわいそうなのは誰だ」

 

物語に登場する人は、みんなみんなかわいそう。「かわいそう」って言葉は自分がかわいそうって言われるためだけに有るって思ってて、それでいていざ面と向かって言われると全身で否定する。(お前ら何やねん)そう言いたくなる気持ちは正しい。そして自が愚かな人間にカテゴライズされていく。この圧倒的違和感、矛盾。誰一人とも会話が成立しない苛立ち。その葛藤をケーキやパフェに乗っけて、ぐちゃぐちゃにして食べて、奇跡でもない満月を見たら、まぁなんとなくオールオッケー☆

 

「「死んだらなんとかなるからこの世界はどこまでも不幸になってOKなのかもしれないね。」」(本文より)

 

いじめや自殺が日常にありふれている世界で、みんな驚くほど普通に生きている。理屈ではどうすることもできないから、この世界では理屈が悪。わかりきっている正解に「意味ワカンナイ」で蓋をして、恋をしてセックスをして喧嘩をしてご飯を食べる。10代という生き物のルールは全てが暗黙。聡明な光は何処にも誰にも届かない。ただ、それで何の問題もないのだ。

 

そう、何の問題もない。

 

世界の中でいじめがあっても自殺があっても、そこに意味なんて誰も求めてない。だからもう、そういう事でいいんじゃない?(え、どういうこと?)そこは暗黙のアレで、お約束のコレで、とりあえずノリで、ほらいい夢が見られるように、それだけを思って今日は眠ろう。

 

まさに10代。

 

慣れれば悪くないと思うけど、慣れる頃には20代だね。

 

とにかくみんな、自分なりの理屈で精一杯にその場しのぎで生きている。みんなかわいそうだけど、それが10代。青春と名付けられるに相応しい世代。  〈了〉