遠浅の死海。

文字の海に溺れて死にたい。幸福の国。

神の手は優しくって残酷。

僕は2ヶ月ほど前から2週間に一度、近所の皮膚科に通っている。左足の裏にイボができて、それを切除するためだ。別にイボそのものは痛くないのだが、これを切除するための治療には相当な痛みを伴う。

 

治療の内容はこうだ。

 

液体窒素ターミネーター2で敵のサイボーグを致命傷に追い込んだ劇薬)でギュンギュンに冷やされた医療用綿棒をイボにグンッグンッ押し当てる。想像してみてほしい。足の裏という、人間の身体の中でも敏感な部分ベスト3に入る場所に、画鋲を刺しては抜き刺しては抜き ×(10回以上)、さらにその上からガスバーナーでジュワジュワ炙られる恐怖と痛みを。実際は綿棒で地味に行う治療で傍目から見れば別段痛そうに見えないかもしれないが、体感的にはそれくらいされているのかと思うくらい痛い。本人が言っているんだから間違いない。僕は痛みに対しては人並み以上に強いと自負しているが、その治療の数分間は冷や汗が止まらない。極限まで冷やされた綿棒は、容易に拷問器具になりうることを僕は知った。しかも、治療まだこれで終わりではない。これでもか!と痛めつけられたイボ、及び周辺の細胞は死滅し、一旦水ぶくれになる。そして、やがて黒く変色する。その黒ずんだ塊を、今度は医療用のハサミでジョキジョキ切っていくのだ。(※綿棒の日とハサミの日は同日には行いません)もちろん死滅している部分だけを上手に切ってくれれば痛みはほとんど感じないのだが、運が悪いことに医者の先生は結構なストロングスタイル。まだ生きている、つまり何でもない健康な状態の細胞も若干巻き込んで切っていく。実に男らしい先生だ。しかしながらこの恐怖、この痛み、半端ネェ!!想像しにくい人は、一度足の裏をコクワガタ(♀)に挟まれてみてほしい。さらにその上から熱した油を数的垂らしてみてほしい。クワガタは大きいものより小さいものの方が挟まれた時のショックが大きい。これは著者の体験に基づくので間違いない。この時はすでに、僕の意識は仮死状態になっている。というか、意図的にそうしている。自らの意思で精神を仮死状態にできるとは、人間の防衛本能というのはまだまだ奥が深い。辛いものを食べ過ぎて途中から辛いのかどうかさえわからなくなるように、痛すぎて痛いのかどうかすらわからなくなる。それでも先生を信じて僕は、まな板の鯉よろしく、されるがまま、ありのまま、レリゴー♪ レリゴー♪ と耐えているのだ。本当に偉いと思う。

 

ロシアあたりでは密かに行われているであろう、この拷問(治療)の数分間を終えた後に先生は毎回「はい」とだけ言う。いつも毎回「はい」で全てが許される。病院での医者というのは、まさになのだなと身をもって感じている。そう考えると、ストロングスタイルで貫く先生も、この恐怖も痛みも全て「平和の為には多少の犠牲は厭わない」と常日頃から考えている僕に向けられた何らかのメッセージなのかもしれない!などと思ったりもする。残酷さの中にこそ、真の優しさがあるのかもしれない。

 

生まれつき平和主義者である僕に、まさかこういった治療(拷問)が2週間に一度やってくる年になるとは想像もしなかった。おみくじは大吉だったのに。でも、先生がストロングスタイルで攻めてくれているおかげかどうかは知らないが、イボはもうほとんど消えかけている。多分、長くても4月中には終わるだろう。(先生談)それまでは、耐えなければならない。耐えたとて、何か達成感が得られるわけでもないだろうが、それでも僕は耐えねばならない。まだ気温が安定しない今日この頃。花粉症には地獄の季節が始まった。近所の桜はもうすぐ咲くのか。未来のことはわからない。でも今まで運良く生きてこれた。何の保証にもならないけれど人はそれだけで未来を想える。ああ素晴らしきかな人間よ。足の裏のイボを憂いながら、まだ見ぬ少し未来の自分が、今日より、いや今日と同じような日々を続けていられることを願う。2016年3月8日。斗掻ウカ。「2時間待ちです、」と言われた病院の、潔癖な待合室にて。

 

了。