遠浅の死海。

文字の海に溺れて死にたい。幸福の国。

繊細さは嘘をつく。

【繊細】という漢字はとても繊細な感じがしていいですよね。ノートに“繊細”と書く時は、絶対に0.03ミリ以下のボールペンで書いてあげたくなる、そういう文字だと思います。例えを用いてみるとしたら、糸が絡まって、絡まって。その絡まりが一本の糸に因るものなのか、二本なのか三本なのか、わからなくなって、なんとか解いてみようと試みるも、10秒くらいしたら飽きてきて、突き放すようにゴミ箱へポイするような、儚さ、美しさ、無力さ。繊細という文字には、そういった叙情的な感性が包含されていると思います。その感性って、どうしようもなく面倒なものなんですよね。誰にとっても生産的ではないし、そんな絡まった糸くずみたいなものと10秒以上向き合ってくれる変人は殆どいないでしょう。だからこそ、繊細さを日常に求めたがる人たちというのは、往々にして一般からは距離を置かれて、「センサイなヒト」と、粗野なカテゴライズをされてしまう。その面倒さを許してもらえるのが「創造をする人」で、創造をする人に於いては、この感性とやらが必要だと思われがちですが、今日は微妙に違うんじゃないかなという気分がするので、今この文章を書いています。

 

創造をする人、クリエイトする人、というのは、ある程度“そういうことでお金を稼げる人”として一般に認識される必要があると思っています。で、実際に認識されている人たちは、確かに繊細さという感性は大なり小なり持ち合わせているんですよね。でも加えて、絡まった糸を“解く技術”も持ち合わせているのです。(ここ重要)そうして、自分自身の中で絡まった糸を解いて、『この元々糸くずだったものは2本の糸でできていました。1本は蚕の繭から紡いだ糸で、色は白で、長さは32.4センチメートルです。もう一本は、植物の繊維から紡がれたもので、色は薄い緑色で、長さは21.8センチメートルです』というように解説できる。日々日々忙しくて、繊細さに対して寛容になれない一般のために、糸くずを解いて、その構造を説明できるのが創造者であり、クリエイターとして認識してもらうための条件だと感じております。(個人の見解)お勉強が苦手で、でもモノづくりは好き!と嘯く、創造をする人の卵みたいな人たちは、だいたいこの認識の壁に苦しむことになるのではないでしょうか。その卵の殻の中身には、別に認めてもらえなくても、それで食べていけなくても、ほぞぼそと趣味で創造行為をしていれば、それはそれでいいと思う自分もいるし。否、やっぱり多くの人に知ってほしいし、認めてほしいし、人気者になりたいという自分もいる。この葛藤。矛盾しているつもりのない矛盾。なんて繊細でかわいらしいのでしょうか。

 

だんだん何が言いたいのか分からなくなってきましたので、話を戻しますと。今日僕が書きたかったのは、繊細という言葉は繊細だということ。そして、それは一般の中では嘘つきだということです。初めの例えにも書いたように、僕にとっての繊細は、“絡まった糸くず”で、でも、一般に認識されている繊細は繊細ではなく“センサイ”であり、それは糸くずではなく“糸”なのです。わかりますか?この感じ。説明しなければわからない、わからないから価値がない、価値がないから必要ない、必要ないから面倒くさい。そんな方程式で、世の中のセンサイが繊細のふりをしているのが個人的に気に喰わんのです。(感情的)もちろん、創造をする人に限らず、世の中というのは需要と供給で成り立っていて、そこのバランスが崩れると、もうそれは駄目なんですよね。それは理解しているつもりなんですけど、そこはもう理屈じゃなくて(意地)、どうにかして、絡まった糸くずをそのまま出力して、一般に認められるようにならないかなと。流れ星に祈るような気分なんですよ、今日は。

 

今は一般の中に飄々と溶け込んでいる創造をする人たちも、きっと最初は絡まった糸くずに苦しんでいて、愛していたはずです。それは、赤ん坊の喘ぎ声のようなもので、決して掴み取ることも、解説することもできないけれど。儚くて、美しくて、無力で。でも、どうしようもなく【自分】だったのではないでしょうか。しかしながら、その自分を解いていかなければ、この世の中では“成長”という人間証明書はもらえない仕組みになっているので、仕方なく、仕方なく、絡まった糸くずを解く技術を身に付けてしまったのでしょう。僕は、それは嘘だと思います。悪い嘘ではないですけど、あなたは嘘つきなのです。繊細をセンサイに分解したことに気づきながらも「私は繊細」と言い張っています。そんな行儀のいい繊細があってたまるか!と、僕はここに物申します。

 

一度解いてしまったら、もう二度と絡めることは出来ない、ということもないですけど。解けるのに、解いた方が一般に認められるのに、もう一度絡めようなんて人は最初から解こうとはしないでしょう。繊細さは取り戻せないし、繊細さは嘘をつく。そういう繊細さこそ本当だし、真実だし、自分だし。できることなら、絡まった糸くずのまま一般に溶け込みたい。とても我儘、エゴイスティック。そういう僕も、そのうちセンサイな人になってしまうのが容易に創造できてしまう事実。なんとも刹那い。そして眠たい。今日のこの文章は繊細なのかセンサイなのか。自己評価では解らない。だから、解けていないということなので、繊細ということにしておこう。とりあえず、今日のところは。それでは、おやすみなさいませ。

 

センサイな君へ、繊細な僕より。