遠浅の死海。

文字の海に溺れて死にたい。幸福の国。

--- この世界の片隅に ---

観てきました。

 

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前評判がすごくすごく良い作品だったので、

 

期待値を上げに上げて映画館へ足を運びました。

 

で、「なるほど」と。

 

納得し、感動しました。

 

 

 

 

つよくもたくましくもない女性が、

強く逞しく生きていく話。

 

異常が日常に、

知らず知らず変化していく話。

 

あの時代が特別”そう”だとは思わないけれど、

それでも”そういう時代”が日本にあったこと。

 

つい数十年前に現実としてあったことが、

ひとりの女性を通して鮮やかに描かれていました。

 

 

 

 

僕は戦争をテーマにしている作品は、映画に限らず、あまり見返さない。でもこの作品は、きっとまた観ると思う。良い映画だからとか、忘れちゃいけない内容だからとか。そういうことじゃなくて(そういうことでもあるけれど)、なんとなく、人間の出会いでも「あー、この人とはまた会うだろうなぁ」って思う時ってあるじゃないですか。そういう感じです。それは自分との”相性”みたいなもので、”もう一度”を自然と望んでしまう関係性。毎日じゃなくていい、むしろ毎日はちょっと嫌だ。死ぬまでにもう一度、それから何度か。そういう距離感で求めるもの、求めてしまうものと、僕は一つでも多く出会って生きたいなと思う。

 

 

 

 

戦争のシーンや空襲の音、

原爆などの描写が苦手な人でなければお勧めです。

 

あと、のん(能年玲奈)さんが好きな人は絶対!

絶対に観てくださいね。

 

 

 

 

おしまい。

y o u r n a m e .

記憶。

当たり前のように、僕らを意味するもの。


忘れたくないことは、きっと大したことないことで。

忘れてしまうものほど、きっと、忘れちゃダメなものなんだろう。

いくつになっても、やっぱり「奇跡は綺麗なんだ」と思っていたい。

何度か泣きそうになる自分を、複雑な心境で眺める自分がいたりする。



───やっぱり、最近。むかしの自分に戻ってる。


ただ寄り道をしていただけかもしれない。

別に決められたルートなんて無いけれど、やっぱり、最近。

 

“戻ってきてる”感覚はある。

でも。

落としてきたものも、
                        きっと、
                              多分、たくさんある。

それは絶対、取り戻せないもので。だからこそ、僕を形作る何かであること。それは確かだ。



『僕らは、本当は、命が始まった瞬間からの全ての記憶を頭のどこかで憶えてるんだって』

 


今はもう、顔も名前も思い出せない友達から聞いた話。

 

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記憶を喪失していくことは、
なんだろう。。

さびしい?むなしい?かなしい?

ですか?。

だから、僕にとっての君は誰だ。
そういう話になってくる。



───やっぱり、最近。むかしの自分に戻ってる。



物語は繋がりで、その色とりどりの切れ端で、かけがえのない奇跡でしょう?

誰かに思いを伝えること。
誰にも伝わらなかった思いのこと。

どちらも何気ない、唯の奇跡でしょう?

美しいと思える時間と日々は、涙と隣り合わせの世界に在るから記憶。

喪失なんて、僕らには一つもないんだな。

君の名を、いつか呼ぶ時。

ほら、前前前世から届く声が、頭のどこかで記憶になるんだ。

未開の美しさは、そう簡単には馴染まない。

今日から7月が始まりましたね。

というわけで。

 

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文月悠光さんの詩集【屋根よりも深々と】を読んだ。読んだのだけど。

 

◯◯◯

つくづく詩集って不思議な存在だと思う。小説のような、漫画のような、写真集のような、日記のような。様々な方の詩集を読む度、毎度、形容し難い感動を覚える。そして、だいたい眠くなる。でもその“眠くなる”は、学校の授業中に感じたソレとは違う。もっと心地よい子守唄のようなものだ。

文月悠光さんは、僕と同い年。

なのに、すごいなぁ、コレは。

読む以上に、綴られた言葉をただ見ているだけで美しいと思った。その人がちゃんとその人であることが全てのページから発せられていて、これは美しいなと思った。

ひとつひとつの言葉を丁寧に紙から剥がして、ひとつひとつの言葉を口に含みたくなった。どんな味がするのだろう。それは多分、未開の味だ。

 

◯◯◯

 

わかりやすいもの、は。

僕にとっては、どこか物足りなくて。

かといって、支離滅裂な虚構を求めているわけでもなくて。

要は、嘘のないものが好きで。

嘘をついていることを臆面もなく表現してしまう、ような。

そういう 矛盾めいた、人間がつくるものが好きだ。

 

それらはそれらとして、凛として存在しているから。

触れると少し冷たくて、でも安心できる。

そう簡単に僕には馴染まない温度や色が、とても美しいと思えて。

だからこそ、少しでもその世界に近づきたいと思う。

 

未開の美しさは、そう簡単に僕には馴染まない。

 

これまでも、これからも。

他者と関わる機会があれば、そういう理解できない気持ちになりたい。

そうして離れるでもなく、一体になるでもなく。

ただ其々がマーブル状に濃淡を彩り合うような、そんな出会いが最高だ。

 

 

冷やし中華はじまりました。

僕は暑さに弱い。

 

それはもう、徹底的に弱い。

ゆえに夏が、夏がダメで。

夏がやって来るたび、僕はもう。

 

 

×××

 

 

「今年の夏は暑くなりそうです」とかいう、わりと毎年聞いている気もする絶望宣告を今年もお天気おねえさんから聞いて(うわぁ)ってなるこの季節の恒例行事。まだ5月も終わってない。まだ梅雨すら来ていない。のに。

 

インドのラージャスターン州のファローディという都市では最近【摂氏51度】を記録したそうです。よ。

 

アカン。アカンで。

そんなんは、もう、マジで、アカンで。

 

夏が好きな人って、みんな火星人やと思う。あれ?火星って暑いんやっけ、寒いんやっけ?まぁ、そんなんはどーでもええんやけど、夏が好きな人はさぞかしこっからの数ヶ月は楽しみなんやろね。別に羨ましいとかは思わへんけど、別に僻んでるわけでもあれへんけど、なんかなぁ、なんだかなぁ。みんなほんまに宇宙人やなーって思うわぁ。

 

宇宙人的には夏には楽しいことがたくさんあるらしいな。夏祭り、花火、バーベキュー、その他もろもろ。ごめんやけど僕にはどれもこれもがキッツいイベントでしかないわ。いや、嫌いじゃないんよ?それ自体は。夏祭りとか、賑やかでキラキラしててええと思うし、花火は当然めっちゃ綺麗やん?んで、バーベキューで缶ビール片手に食べる肉とかほんま美味しい思うし、それ自体は嫌いじゃない。嫌いじゃないんよ。でもな。

 

「あっっっっ....ついねんッて!!!!!!!」

 

それだけ。ほんまそれだけなんよ。もうちょいなんとか、こう、ちょうどええ温度にならんもんかなぁ。僕は人の3倍くらい新陳代謝がええ体質やから、汗とか、もう大変なんやで。みんなの周りにも一人や二人おるやろ?「え?なんでそんな汗かいてるん?大丈夫??」っていう人。それ、僕ですわ。そんな体質でも人によっては意外と大丈夫っていう人もおるかもしれんけど、僕はアカン。もちろん、汗以外にも食欲に異常が出たり、着られる服も限られてきたり、行ける場所や時間帯も選ばなあかんし、ただでさえ寝つきが悪いのに暑かったらほんま寝られへんやん。クーラーつけたらつけたで体調的にはあんまよろしくないとかいうしな。ほんま、じゃあどうせぇっちゅうねん。ぉお?

 

みたいにな。若干怒りっぽくもなるしな。普段は仏のごとく温厚やから、別にどうってことはないけど、怒りって精神エネルギーめちゃくちゃ使うやん?だから普段から極力怒りの感情は抱かんようにしてんねんけどな。暑いと、どうもなぁ、一個前のブログに書いた「感情のコントロール」の精度が大きく落ちんねん。普段なら80〜90%コントロールできてるところが、夏場は50%前後くらいになってまいよる。そのコントロールできない自分にまた腹が立ってもうて、怒りが連鎖していくねん。まさにエンドレス・アングリー症候群やで。

 

そんなわけで、僕は夏が苦手やねん。特に意味はないけど関西弁になってまうくらい苦手やねん。今だって、もうすでに夏バテ気味やし、半袖・短パンに窓全開で寝てるんやで。まだ5月やで?梅雨もまだ来てへんねんで?ほんま勘弁してほしいわ。

 

そろそろ冷やし中華はじめて、それで集客狙うとる店には悪いけどな。こちとら毎日一秒でも早う夏が終わってくれることしか頭にないわ。そもそも夏が来んかったらええのにって毎年思うわ。来ても一週間くらいで十分ちゃうか。夏、お前は何も悪うないけどな、なんつーか、まぁ、相性の問題やから。今日は、すまんけど言わしてくれ。

 

夏、ほんま苦手やわー。

 

 

×××

 

 

この夏は色々大事なことが待っている。

 

詩集刊行とか資格取得とか。

 

何かあった時に暑さを言い訳にするつもりはないし。

 

体質も、もうどうしようもない。

 

毎年のことだからって、慣れることもないだろう。

 

夏は、僕の永遠のライバルだ。

 

負けませんよー。

 

勝ちますよー、僕は。

 

ひたすら根性頼みになる予感がするけれど。

 

根性なら、その辺の人間には絶対負けない。

 

あとは理性的な部分を伸ばしていくのが課題です。

 

書いてたら自然と関西弁になってしまったブログ。

 

関西人ですが、ここまでコテコテな喋りはしません。(多分)

 

でも、たまにはこういうのも新鮮でしょ。

 

皆さんは暑さ、夏。どうですか?

 

得意な方も苦手な方も、熱中症にはご注意を。

 

あれはなったら大変ですよー。

 

早め早めの水分・ミネラル・塩分補給を。

 

ではでは以上、現場からUKA.がお送りしました。

事実には感情が付き纏う。

人間には感情があって、動物にも植物にも、微生物にも感情はある。(無根拠な予想)

 

人間同士が関わり合うことで起きる凡ゆる問題は、どれもこれも”感情”が原因になっている思うんです。思うんですって、こうして改めて言うことでもないですけど。

 

今回ブログに書こうと思ったテーマは『感情って、僕にとっては邪魔だなぁ』ってことでして、将来的にはAIのような思考に近づいていければこれ幸いとも考えてます。こんなことを言うと、冷たい、怖い、つまらない、みたいな意見(イメージ)を持たれる可能性大ですけど、それをわかった上でも僕にとって感情は邪魔なもの。

 

以前ツイッターで、「僕は感情をコントロールできる」的なツイートをしたんですけど、実際はまだ100%のコントロールはできてなくて、現時点ではだいたい80〜90%くらいの精度です。残り数%の壁がなかなか超えられない。

 

そもそも何故僕が感情に対してそこまで束縛魔になろうとするのか。その理由は、僕は”感情に振り回されやすい性質の人間”だから。例えば、一度何かに対して「好き」という感情を抱けば、その対象以外のことが本当にどーでもよくなってしまう。自分の気力や体力の限界をかなりオーバーして、いろいろ取り返しがつかなくなるレベルになるまで「好き」という感情を放出し続けてしまうんです。それが功を奏す時もあるけれど、ほとんどが後々しんどい状況を生み出します。自分がそういう性質であることを自覚したのは20歳を過ぎたあたりからで、そのあたりから自分の感情というものに対しかなり慎重に向き合うようになっていきました。

 

そうすると、世界の見え方みたいなものが段々と変化してきましてね。大きな話でいうと戦争とか、小さな話でいうと色恋が絡んだ揉め事とか。そういう問題を目にするたびに、「こうすれば良くない?」って結論が頭に浮かぶようになったんです。でも、その結論は実は誰もが心のどこかで当然のようにわかっていることで、でもじゃあなんでそのわかりきっている結論に最短距離で向かおうとしないのか?と訊くと、大抵の場合、ロジカルじゃないふわふわした答えしか返ってこない。最後には決めゼリフのように「だってしょーがないじゃん」って、みんな言う。そんなものであっさり結論に蓋をしてしまう。

 

僕はいつも人間が出すこの答えにモヤモヤしてる。

 

ただ、ここでいう結論っていうのは、つまるところが【正論】で。正論っていうのは誰かを攻撃するために生まれた”知性の武器”なんですよね。それを言っちゃあおしまいよぉ!っていう最終兵器。それは僕もわかっている(つもりです)けど、感情を徐々にコントロールできるようになってから、僕にとって人間の感情っていうのは”ハムスターの回し車”に見えてきまして。(唐突な例え話)

 

 

とりあえず人間って、感情が持つエネルギーに身を任せて必死で必死で走る走る走り続ける!でも今いる場所からは全く動けていない。例えば餌を食べたい・水を飲みたいという目的があったら、さっさと回し車から降りて餌場・水飲み場に行けばいい。そんな事はわかってる。でも誰も回し車から降りようとしない。同じ場所をぐるぐる  ×(無限)回り続ける。全員が全員そうじゃないけど、僕には大多数がそう見える。

 

 

ハムスターにとって回し車を回すことはストレス発散の意味があるらしいです。人間が感情に身を任すのも似たような理由からではないでしょうか。ハムスターはあくまで例え話ですけど、僕は僕を含む人間さんたちに「餌が欲しけりゃ餌場に行けばいいし、水が飲みたきゃ水飲み場に行けばいいじゃん。しかもそれは結構すぐそばにあったりするよ」って言いたい。

 

人間には気持ちがあるよ、感情があるよ、それぞれの複雑な事情だって、割り切れん部分だって、たくさんたくさんたくさんあるんだよ。って、それこそ僕からすれば正論で。それを言ったらもう前に進めないじゃん!って思っちゃう。そんなことは人間であれば大前提の話であって、兎にも角にも何か問題が起きた時は。

 

1.まず結果を受け入れる

2.その結果に対して自分で評価する

3.より良い結果を出すためにはどうすればいいかを考える

4.決めたことに従い行動する

 

なんかビジネス書みたいな言い回しになったけど、ビジネスだろうが何だろうが、何か問題があってそれを解決して前に進むためにはこれしかないんじゃないかなぁ。そして、この1〜4の流れの中に感情は一切いらない(っていうのが正論・理想論)。実際は、ほとんどの人間がそんな風にはできないのが現実。でも、僕はそれじゃモヤモヤし続けることになる。だから感情をコントロールして、少しでも前に進みたい。

 

 

ーーー。

 

 

ここまで書いてアレですけど。これは誰かに対して書いている文章じゃなくて、完全に自分自身に向けて、頭の中に浮かんだ言葉を吐き出しているだけの文章です。ここまで読んでくださった方にはなんか言い訳がましい感じで申し訳ないんですけど、時々こういう”なんかまともなこと言ってそうで何にも的を得てない駄文”ってのを書きたくなっちゃうんですよね。(普段のブログも全部そうかもしれないけど。。)

 

あと最初の方に「感情は邪魔」とか言ってますけど、ちょっと補足します。感情は絶対に必要なものです。(というか要らないからって捨てられるものじゃないんですけど)だから、邪魔というより「良い距離感を持って付き合っていきたい友人」という認識です。はい。

 

結局何が言いたいのか。

最初から言いたいことなんて何もないのか。

ちょっと長い文章を書くと頭の中が混乱しますね。

 

読んでくれる人のことを考えると、もっとラフな文章の方がいいんじゃないかなぁって思いながら、途中まで書いて(やっぱりアップするのやめようかな)とか考えたり、そんなことより今日作ったポテトサラダはめちゃくちゃ美味だったなぁとか。人間が考えるべきことって、そんな反射神経に任せた感情だけで十分な気もしたり。え?)

 

そもそも「感情」っていう壮大すぎるものをテーマにするべきじゃなかったですね。(今更)

 

こんな意味不明な文章を書いてると「感情をコントロールできてる」とか言いつつも、もしかしたら僕も回し車の中から降りられていない人間の一人なのかもしれません。禅問答だな、これは。うん。

 

さぁ、そろそろ眠くなってきた。

 

脳みそがギアを落とせと命令するよ。

 

人間らしさを追求すれば。

 

AIなんて不良品だ。

 

感情は自然そのもの。

 

私は神様になれるでしょうか。

 

なれたら世界を平和にできる?

 

自信がないなら「YES」と言うな。

 

僕らは一瞬しか生きられない。

 

だから一生は光だね。

 

それ以外は全部闇かな。

 

そんなの知らないわからない。

 

感情だって同じこと。

 

偉そうに振る舞うよりも。

 

人間らしく振り回されよう。

 

僕らは一生しか生きられない。

 

それ以外は全部未題。

 

この流れは止められないから。

 

自信がなくても「YES」と言うよ。

 

脳みそピリピリ縮れても。

 

幻想列車の車窓を眺めて。

 

一層深みに入り込んだら。

 

君次第で全部見たい。

 

さぁ、そろそろ言いたくなってきた。

 

(眠)

品格ある灰色。

僕の直感は、そう評した。

カニエ・ナハさんの詩集、【用意された食卓】を
読んでの感想です。
 

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あてもなく乗り込んだ、土曜日の普通電車内で読みました。

・・・。
 
詩との、関わり方は難しい。

油断すると、すぐ眠くなる。

かといって、眼力込めて読むものでもない。ような気もする。

起承転結があるわけでもなく、何か知識を得たり、教養を深めるためでもない。

ただ、詩人という人間の心象風景の断片を見て、(あー。と感動するくらいだ。

だから、本というカタチで存在するより、Twitterのように“ぽんっ”と可視化できる気軽いカタチの方が、関わり方としては理にかなっているのかもしれない。
 
仰々しく、有り難がるよりも。
重々しく、腰を据えて向き合うよりも。
もっと日常のBGMレベルまで馴染ませられないものか。
 
それがいいのか。
ただしいのか。
ただしいとかかんがえちゃってだいじょーぶなのか。

さぁ、わからない。

では何故、人は言葉を本にするのか。
そして何故、人は本を買い、言葉を読むのか。
それはやはり、『実体として触れたいから』だと思う。

言葉は見せ方で受け取り方が大きく変わる。誰が言うのか。何時言うのか。何処でいうのか。何の言語を使うのか。フォントは、行間は、文字の色は、大きさは。そして、受け手がどのような状態であるのか。細分化していけば、見せ方のパターンは無限に在る。発信者としては、見せる以上は「魅せたい」と思うのは当然で、でも、そこは完璧にはコントロールはできない。人間が持つ能力と評価が対等になることは稀だ。それは分かってる。それでも独り善がりにならないように、でも出来るだけ自分を出したい。そんな思考の摩擦の末に、本という選択肢が存在する。こんな小難しく考えなくてもいいかもしれないけど、モノづくりに関わると否が応でも考えてしまう。難儀だ。
 
何が言いたいのか分からない。
僕は今、とても眠い。
 
詩集の感想を何も書いてませんが、タイトルが全てです。
最果タヒさんとか、好きな人は好きだと思います。
よろしくどうぞ。
ーー 追伸 ーー

僕の処女作となる詩集【℉】も順調に出来上がりつつあります。
僕が詩人と名乗る以前の作品も多数掲載しております。
勢い重視で圧力高めの作品に仕上がる予定です。

 

お楽しみにー*

I AM A HERO.(R15+)

映画、アイアムアヒーローを観てきました。

 

何が歯痒いって、今のこの興奮を伝えられるだけの文章力が僕にないことですよ。

 

(以下、感想)

 

いや、

なんていうか、

もう、

ほんと、

これ、

すごいよ、

ね、

うん、

ていうか、

うわー、

なんだろ、

あああああああああ、

 

ヤバい。



ほら、僕の文章力ではこれが限界です。

でも、書きたい衝動が収まらないので駄文ですが綴ります。

まず、何からどう書けばいいでしょうか。


ーーー。


アイアムアヒーローの原作ファンの方で、もし「まだ観てない」という人は『いいから黙って映画観てこい』もうブログ読まなくていい、はい、今すぐ、いってらっしゃい!(おわり)

で、アイアムアヒーローを知らない人は続きをどうぞ。

 

ーーー。

 

アイアムアヒーロー】は、花沢健吾さんの漫画が原作です。ストーリーの内容は、主人公の鈴木英雄(将来に希望が持てない35歳のマンガ家アシスタント。クレー射撃が趣味で散弾銃を所持している)の目線で描かれる世界の崩壊劇。ありふれた何気ない日常が、音を立てながら超絶リアルに壊れていきます。

 

簡単に言うと【ゾンビ映画(漫画)】なんですけど、バイオハザードとかをイメージしてたら度肝抜かれます。作品内で奴らは「ZQN(ゾキュン)」と呼ばれていて、ゾンビ作品の基本的なルールである「ゾンビは人間に噛み付く」「噛まれたら感染する」「頭部を完全に破壊しないと倒せない」などは踏襲されていますが、他のゾンビ作品と決定的に違うのは『どこまでもリアル(日常的)であること』と『主人公がたまたま銃が扱えるだけの普通のおじさんであること』です。

 

バイオハザードとかは、主人公が格好いいじゃないですか。体格も良くて、運動神経も抜群で、絶対に死ななそうじゃないですか。でもアイアムアヒーローは、いつ死んでもおかしくない主人公なんです。主人公だから死なないとは思うんですけど、それでも頻繁に(死ぬんじゃない?!)って思わされます。だからこそ、見る側の僕ら(普通の人間)が感情移入・状況移入しやすい。それがこの作品の面白いところです。

 

ここまで書いて思ったんですけど。正直、映画観るよりも先に漫画の方を読んでほしいですね。1巻だけでいいので。1巻の”あのシーン”の衝撃に耐えられる人は映画館へ、耐えられない人は観ないことをオススメします。

 

僕は1巻の衝撃に一度は打ちのめされ、続きを読むまでに3ヶ月かかりました。あの頃はまだ”耐性”が弱かったので。それでも、今は19巻(最新巻)まで読み進めてる熱烈なファンになりました。面白いですよー。人によってはトラウマになる可能性もありますが、面白いですよー。

 

ーーー。

 

さて、映画の話に入ります。

 

まず、はじめに。【実写化】というものハードルの高さは、もう皆さんご存知ですよね。今まで自分の好きな作品(漫画・小説)が実写化(アニメ化)されて「全然違う!!!」と、憤った経験のある方は少なくないと思います。また、憤るまで行かなくても、「うーん。。まぁ、これはこれでアリか」程度のクオリティの作品が多いのではないかと思います。今回のアイアムアヒーローも、原作が原作なだけに期待よりも不安が大きかったです。でも実際に映画を観たら、そんな期待も不安も全部まとめて『フッ飛ぶ』くらい大満足の出来でした。

 

そもそも実写化において何よりも重要なのが「誰が演じるか」ですよね。作品の満足度は、ここで8割決まると言っても過言ではないでしょう。でもキャストが発表された時、僕は安心しました。主人公が大泉洋さん。これは、もう流石のキャスティングです。すぐに見えました。スクリーンの中で動く鈴木英雄が。ダブルヒロインのキャストも有村架純さんと長澤まさみさんという、なかなかの力の入れ様。まぁ原作ファンからすると(ちょっと美人すぎるんじゃないか?)とは思いましたが、スクリーン映えするという点では完璧な女優さん方です。そして、映画の中では期待を遥かに超える名演技。やっぱり実力派俳優さんたちはすごい。すごい。

 

そして、もう一つ。というか、主人公やヒロインよりも重要な役。この作品の”肝”である”ZQN”のクオリティについてですが。これが、もうね。

 

恐怖。恐怖。恐怖。です。

 

特殊メイクやCGを「これでもか!」と使い、基本の”動き”を各俳優さんが演じる形でしたが。これが、もうね。全員が完全なるZQNに変貌していました。めっちゃ怖い。めっちゃリアル。めっちゃ噛み付く。でも、だからめっちゃ面白い!この実写化に携わった方々、全員の原作に対する”愛”が伝わってきました。一切の手抜きなしです。

 

キャラクターもストーリーも、相当なレベルで原作に忠実に創られています。映画という短い時間での表現も、世界が崩壊していくスピードと上手くリンクしていてゾクゾクしました。絶対【続編】ありますよ、コレ。今回のを第1章とするならば、少なくとも第3章まではあります。(というか、やってください、おねがいします)

 

原作の方は、いよいよ佳境に入ってきました。死んだと思ってた人が生きていたり、絶対死なないと思ってた人があっさり死んだり、世界はすでに99%以上崩壊していて、そんな中でまだ生きている人たちは何を考え、どう動くのか。そしてこの作品に、花沢さんがどんなラストを描くのか。めちゃくちゃ楽しみです。それまでは死ねない。

 

あまりネタバレになるようなことは書きたくないので、この辺にしておこうかと思います。「グロテスクな表現・ホラー描写への耐性がある」と自覚している方は、どうぞアイアムアヒーローの世界へ行ってらっしゃい。ただしその後、すべての人間が怖く見えたり、肉料理が食べられなくなったり、悪夢にうなされたりするなどの後遺症を患っても、すべて自己責任ということで。

 

ーーー。

 

P.S.

君は、ヒーローになれるか。

 

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