遠浅の死海。

文字の海に溺れて死にたい。幸福の国。

未開の美しさは、そう簡単には馴染まない。

今日から7月が始まりましたね。

というわけで。

 

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文月悠光さんの詩集【屋根よりも深々と】を読んだ。読んだのだけど。

 

◯◯◯

つくづく詩集って不思議な存在だと思う。小説のような、漫画のような、写真集のような、日記のような。様々な方の詩集を読む度、毎度、形容し難い感動を覚える。そして、だいたい眠くなる。でもその“眠くなる”は、学校の授業中に感じたソレとは違う。もっと心地よい子守唄のようなものだ。

文月悠光さんは、僕と同い年。

なのに、すごいなぁ、コレは。

読む以上に、綴られた言葉をただ見ているだけで美しいと思った。その人がちゃんとその人であることが全てのページから発せられていて、これは美しいなと思った。

ひとつひとつの言葉を丁寧に紙から剥がして、ひとつひとつの言葉を口に含みたくなった。どんな味がするのだろう。それは多分、未開の味だ。

 

◯◯◯

 

わかりやすいもの、は。

僕にとっては、どこか物足りなくて。

かといって、支離滅裂な虚構を求めているわけでもなくて。

要は、嘘のないものが好きで。

嘘をついていることを臆面もなく表現してしまう、ような。

そういう 矛盾めいた、人間がつくるものが好きだ。

 

それらはそれらとして、凛として存在しているから。

触れると少し冷たくて、でも安心できる。

そう簡単に僕には馴染まない温度や色が、とても美しいと思えて。

だからこそ、少しでもその世界に近づきたいと思う。

 

未開の美しさは、そう簡単に僕には馴染まない。

 

これまでも、これからも。

他者と関わる機会があれば、そういう理解できない気持ちになりたい。

そうして離れるでもなく、一体になるでもなく。

ただ其々がマーブル状に濃淡を彩り合うような、そんな出会いが最高だ。

 

 

冷やし中華はじまりました。

僕は暑さに弱い。

 

それはもう、徹底的に弱い。

ゆえに夏が、夏がダメで。

夏がやって来るたび、僕はもう。

 

 

×××

 

 

「今年の夏は暑くなりそうです」とかいう、わりと毎年聞いている気もする絶望宣告を今年もお天気おねえさんから聞いて(うわぁ)ってなるこの季節の恒例行事。まだ5月も終わってない。まだ梅雨すら来ていない。のに。

 

インドのラージャスターン州のファローディという都市では最近【摂氏51度】を記録したそうです。よ。

 

アカン。アカンで。

そんなんは、もう、マジで、アカンで。

 

夏が好きな人って、みんな火星人やと思う。あれ?火星って暑いんやっけ、寒いんやっけ?まぁ、そんなんはどーでもええんやけど、夏が好きな人はさぞかしこっからの数ヶ月は楽しみなんやろね。別に羨ましいとかは思わへんけど、別に僻んでるわけでもあれへんけど、なんかなぁ、なんだかなぁ。みんなほんまに宇宙人やなーって思うわぁ。

 

宇宙人的には夏には楽しいことがたくさんあるらしいな。夏祭り、花火、バーベキュー、その他もろもろ。ごめんやけど僕にはどれもこれもがキッツいイベントでしかないわ。いや、嫌いじゃないんよ?それ自体は。夏祭りとか、賑やかでキラキラしててええと思うし、花火は当然めっちゃ綺麗やん?んで、バーベキューで缶ビール片手に食べる肉とかほんま美味しい思うし、それ自体は嫌いじゃない。嫌いじゃないんよ。でもな。

 

「あっっっっ....ついねんッて!!!!!!!」

 

それだけ。ほんまそれだけなんよ。もうちょいなんとか、こう、ちょうどええ温度にならんもんかなぁ。僕は人の3倍くらい新陳代謝がええ体質やから、汗とか、もう大変なんやで。みんなの周りにも一人や二人おるやろ?「え?なんでそんな汗かいてるん?大丈夫??」っていう人。それ、僕ですわ。そんな体質でも人によっては意外と大丈夫っていう人もおるかもしれんけど、僕はアカン。もちろん、汗以外にも食欲に異常が出たり、着られる服も限られてきたり、行ける場所や時間帯も選ばなあかんし、ただでさえ寝つきが悪いのに暑かったらほんま寝られへんやん。クーラーつけたらつけたで体調的にはあんまよろしくないとかいうしな。ほんま、じゃあどうせぇっちゅうねん。ぉお?

 

みたいにな。若干怒りっぽくもなるしな。普段は仏のごとく温厚やから、別にどうってことはないけど、怒りって精神エネルギーめちゃくちゃ使うやん?だから普段から極力怒りの感情は抱かんようにしてんねんけどな。暑いと、どうもなぁ、一個前のブログに書いた「感情のコントロール」の精度が大きく落ちんねん。普段なら80〜90%コントロールできてるところが、夏場は50%前後くらいになってまいよる。そのコントロールできない自分にまた腹が立ってもうて、怒りが連鎖していくねん。まさにエンドレス・アングリー症候群やで。

 

そんなわけで、僕は夏が苦手やねん。特に意味はないけど関西弁になってまうくらい苦手やねん。今だって、もうすでに夏バテ気味やし、半袖・短パンに窓全開で寝てるんやで。まだ5月やで?梅雨もまだ来てへんねんで?ほんま勘弁してほしいわ。

 

そろそろ冷やし中華はじめて、それで集客狙うとる店には悪いけどな。こちとら毎日一秒でも早う夏が終わってくれることしか頭にないわ。そもそも夏が来んかったらええのにって毎年思うわ。来ても一週間くらいで十分ちゃうか。夏、お前は何も悪うないけどな、なんつーか、まぁ、相性の問題やから。今日は、すまんけど言わしてくれ。

 

夏、ほんま苦手やわー。

 

 

×××

 

 

この夏は色々大事なことが待っている。

 

詩集刊行とか資格取得とか。

 

何かあった時に暑さを言い訳にするつもりはないし。

 

体質も、もうどうしようもない。

 

毎年のことだからって、慣れることもないだろう。

 

夏は、僕の永遠のライバルだ。

 

負けませんよー。

 

勝ちますよー、僕は。

 

ひたすら根性頼みになる予感がするけれど。

 

根性なら、その辺の人間には絶対負けない。

 

あとは理性的な部分を伸ばしていくのが課題です。

 

書いてたら自然と関西弁になってしまったブログ。

 

関西人ですが、ここまでコテコテな喋りはしません。(多分)

 

でも、たまにはこういうのも新鮮でしょ。

 

皆さんは暑さ、夏。どうですか?

 

得意な方も苦手な方も、熱中症にはご注意を。

 

あれはなったら大変ですよー。

 

早め早めの水分・ミネラル・塩分補給を。

 

ではでは以上、現場からUKA.がお送りしました。

事実には感情が付き纏う。

人間には感情があって、動物にも植物にも、微生物にも感情はある。(無根拠な予想)

 

人間同士が関わり合うことで起きる凡ゆる問題は、どれもこれも”感情”が原因になっている思うんです。思うんですって、こうして改めて言うことでもないですけど。

 

今回ブログに書こうと思ったテーマは『感情って、僕にとっては邪魔だなぁ』ってことでして、将来的にはAIのような思考に近づいていければこれ幸いとも考えてます。こんなことを言うと、冷たい、怖い、つまらない、みたいな意見(イメージ)を持たれる可能性大ですけど、それをわかった上でも僕にとって感情は邪魔なもの。

 

以前ツイッターで、「僕は感情をコントロールできる」的なツイートをしたんですけど、実際はまだ100%のコントロールはできてなくて、現時点ではだいたい80〜90%くらいの精度です。残り数%の壁がなかなか超えられない。

 

そもそも何故僕が感情に対してそこまで束縛魔になろうとするのか。その理由は、僕は”感情に振り回されやすい性質の人間”だから。例えば、一度何かに対して「好き」という感情を抱けば、その対象以外のことが本当にどーでもよくなってしまう。自分の気力や体力の限界をかなりオーバーして、いろいろ取り返しがつかなくなるレベルになるまで「好き」という感情を放出し続けてしまうんです。それが功を奏す時もあるけれど、ほとんどが後々しんどい状況を生み出します。自分がそういう性質であることを自覚したのは20歳を過ぎたあたりからで、そのあたりから自分の感情というものに対しかなり慎重に向き合うようになっていきました。

 

そうすると、世界の見え方みたいなものが段々と変化してきましてね。大きな話でいうと戦争とか、小さな話でいうと色恋が絡んだ揉め事とか。そういう問題を目にするたびに、「こうすれば良くない?」って結論が頭に浮かぶようになったんです。でも、その結論は実は誰もが心のどこかで当然のようにわかっていることで、でもじゃあなんでそのわかりきっている結論に最短距離で向かおうとしないのか?と訊くと、大抵の場合、ロジカルじゃないふわふわした答えしか返ってこない。最後には決めゼリフのように「だってしょーがないじゃん」って、みんな言う。そんなものであっさり結論に蓋をしてしまう。

 

僕はいつも人間が出すこの答えにモヤモヤしてる。

 

ただ、ここでいう結論っていうのは、つまるところが【正論】で。正論っていうのは誰かを攻撃するために生まれた”知性の武器”なんですよね。それを言っちゃあおしまいよぉ!っていう最終兵器。それは僕もわかっている(つもりです)けど、感情を徐々にコントロールできるようになってから、僕にとって人間の感情っていうのは”ハムスターの回し車”に見えてきまして。(唐突な例え話)

 

 

とりあえず人間って、感情が持つエネルギーに身を任せて必死で必死で走る走る走り続ける!でも今いる場所からは全く動けていない。例えば餌を食べたい・水を飲みたいという目的があったら、さっさと回し車から降りて餌場・水飲み場に行けばいい。そんな事はわかってる。でも誰も回し車から降りようとしない。同じ場所をぐるぐる  ×(無限)回り続ける。全員が全員そうじゃないけど、僕には大多数がそう見える。

 

 

ハムスターにとって回し車を回すことはストレス発散の意味があるらしいです。人間が感情に身を任すのも似たような理由からではないでしょうか。ハムスターはあくまで例え話ですけど、僕は僕を含む人間さんたちに「餌が欲しけりゃ餌場に行けばいいし、水が飲みたきゃ水飲み場に行けばいいじゃん。しかもそれは結構すぐそばにあったりするよ」って言いたい。

 

人間には気持ちがあるよ、感情があるよ、それぞれの複雑な事情だって、割り切れん部分だって、たくさんたくさんたくさんあるんだよ。って、それこそ僕からすれば正論で。それを言ったらもう前に進めないじゃん!って思っちゃう。そんなことは人間であれば大前提の話であって、兎にも角にも何か問題が起きた時は。

 

1.まず結果を受け入れる

2.その結果に対して自分で評価する

3.より良い結果を出すためにはどうすればいいかを考える

4.決めたことに従い行動する

 

なんかビジネス書みたいな言い回しになったけど、ビジネスだろうが何だろうが、何か問題があってそれを解決して前に進むためにはこれしかないんじゃないかなぁ。そして、この1〜4の流れの中に感情は一切いらない(っていうのが正論・理想論)。実際は、ほとんどの人間がそんな風にはできないのが現実。でも、僕はそれじゃモヤモヤし続けることになる。だから感情をコントロールして、少しでも前に進みたい。

 

 

ーーー。

 

 

ここまで書いてアレですけど。これは誰かに対して書いている文章じゃなくて、完全に自分自身に向けて、頭の中に浮かんだ言葉を吐き出しているだけの文章です。ここまで読んでくださった方にはなんか言い訳がましい感じで申し訳ないんですけど、時々こういう”なんかまともなこと言ってそうで何にも的を得てない駄文”ってのを書きたくなっちゃうんですよね。(普段のブログも全部そうかもしれないけど。。)

 

あと最初の方に「感情は邪魔」とか言ってますけど、ちょっと補足します。感情は絶対に必要なものです。(というか要らないからって捨てられるものじゃないんですけど)だから、邪魔というより「良い距離感を持って付き合っていきたい友人」という認識です。はい。

 

結局何が言いたいのか。

最初から言いたいことなんて何もないのか。

ちょっと長い文章を書くと頭の中が混乱しますね。

 

読んでくれる人のことを考えると、もっとラフな文章の方がいいんじゃないかなぁって思いながら、途中まで書いて(やっぱりアップするのやめようかな)とか考えたり、そんなことより今日作ったポテトサラダはめちゃくちゃ美味だったなぁとか。人間が考えるべきことって、そんな反射神経に任せた感情だけで十分な気もしたり。え?)

 

そもそも「感情」っていう壮大すぎるものをテーマにするべきじゃなかったですね。(今更)

 

こんな意味不明な文章を書いてると「感情をコントロールできてる」とか言いつつも、もしかしたら僕も回し車の中から降りられていない人間の一人なのかもしれません。禅問答だな、これは。うん。

 

さぁ、そろそろ眠くなってきた。

 

脳みそがギアを落とせと命令するよ。

 

人間らしさを追求すれば。

 

AIなんて不良品だ。

 

感情は自然そのもの。

 

私は神様になれるでしょうか。

 

なれたら世界を平和にできる?

 

自信がないなら「YES」と言うな。

 

僕らは一瞬しか生きられない。

 

だから一生は光だね。

 

それ以外は全部闇かな。

 

そんなの知らないわからない。

 

感情だって同じこと。

 

偉そうに振る舞うよりも。

 

人間らしく振り回されよう。

 

僕らは一生しか生きられない。

 

それ以外は全部未題。

 

この流れは止められないから。

 

自信がなくても「YES」と言うよ。

 

脳みそピリピリ縮れても。

 

幻想列車の車窓を眺めて。

 

一層深みに入り込んだら。

 

君次第で全部見たい。

 

さぁ、そろそろ言いたくなってきた。

 

(眠)

品格ある灰色。

僕の直感は、そう評した。

カニエ・ナハさんの詩集、【用意された食卓】を
読んでの感想です。
 

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あてもなく乗り込んだ、土曜日の普通電車内で読みました。

・・・。
 
詩との、関わり方は難しい。

油断すると、すぐ眠くなる。

かといって、眼力込めて読むものでもない。ような気もする。

起承転結があるわけでもなく、何か知識を得たり、教養を深めるためでもない。

ただ、詩人という人間の心象風景の断片を見て、(あー。と感動するくらいだ。

だから、本というカタチで存在するより、Twitterのように“ぽんっ”と可視化できる気軽いカタチの方が、関わり方としては理にかなっているのかもしれない。
 
仰々しく、有り難がるよりも。
重々しく、腰を据えて向き合うよりも。
もっと日常のBGMレベルまで馴染ませられないものか。
 
それがいいのか。
ただしいのか。
ただしいとかかんがえちゃってだいじょーぶなのか。

さぁ、わからない。

では何故、人は言葉を本にするのか。
そして何故、人は本を買い、言葉を読むのか。
それはやはり、『実体として触れたいから』だと思う。

言葉は見せ方で受け取り方が大きく変わる。誰が言うのか。何時言うのか。何処でいうのか。何の言語を使うのか。フォントは、行間は、文字の色は、大きさは。そして、受け手がどのような状態であるのか。細分化していけば、見せ方のパターンは無限に在る。発信者としては、見せる以上は「魅せたい」と思うのは当然で、でも、そこは完璧にはコントロールはできない。人間が持つ能力と評価が対等になることは稀だ。それは分かってる。それでも独り善がりにならないように、でも出来るだけ自分を出したい。そんな思考の摩擦の末に、本という選択肢が存在する。こんな小難しく考えなくてもいいかもしれないけど、モノづくりに関わると否が応でも考えてしまう。難儀だ。
 
何が言いたいのか分からない。
僕は今、とても眠い。
 
詩集の感想を何も書いてませんが、タイトルが全てです。
最果タヒさんとか、好きな人は好きだと思います。
よろしくどうぞ。
ーー 追伸 ーー

僕の処女作となる詩集【℉】も順調に出来上がりつつあります。
僕が詩人と名乗る以前の作品も多数掲載しております。
勢い重視で圧力高めの作品に仕上がる予定です。

 

お楽しみにー*

I AM A HERO.(R15+)

映画、アイアムアヒーローを観てきました。

 

何が歯痒いって、今のこの興奮を伝えられるだけの文章力が僕にないことですよ。

 

(以下、感想)

 

いや、

なんていうか、

もう、

ほんと、

これ、

すごいよ、

ね、

うん、

ていうか、

うわー、

なんだろ、

あああああああああ、

 

ヤバい。



ほら、僕の文章力ではこれが限界です。

でも、書きたい衝動が収まらないので駄文ですが綴ります。

まず、何からどう書けばいいでしょうか。


ーーー。


アイアムアヒーローの原作ファンの方で、もし「まだ観てない」という人は『いいから黙って映画観てこい』もうブログ読まなくていい、はい、今すぐ、いってらっしゃい!(おわり)

で、アイアムアヒーローを知らない人は続きをどうぞ。

 

ーーー。

 

アイアムアヒーロー】は、花沢健吾さんの漫画が原作です。ストーリーの内容は、主人公の鈴木英雄(将来に希望が持てない35歳のマンガ家アシスタント。クレー射撃が趣味で散弾銃を所持している)の目線で描かれる世界の崩壊劇。ありふれた何気ない日常が、音を立てながら超絶リアルに壊れていきます。

 

簡単に言うと【ゾンビ映画(漫画)】なんですけど、バイオハザードとかをイメージしてたら度肝抜かれます。作品内で奴らは「ZQN(ゾキュン)」と呼ばれていて、ゾンビ作品の基本的なルールである「ゾンビは人間に噛み付く」「噛まれたら感染する」「頭部を完全に破壊しないと倒せない」などは踏襲されていますが、他のゾンビ作品と決定的に違うのは『どこまでもリアル(日常的)であること』と『主人公がたまたま銃が扱えるだけの普通のおじさんであること』です。

 

バイオハザードとかは、主人公が格好いいじゃないですか。体格も良くて、運動神経も抜群で、絶対に死ななそうじゃないですか。でもアイアムアヒーローは、いつ死んでもおかしくない主人公なんです。主人公だから死なないとは思うんですけど、それでも頻繁に(死ぬんじゃない?!)って思わされます。だからこそ、見る側の僕ら(普通の人間)が感情移入・状況移入しやすい。それがこの作品の面白いところです。

 

ここまで書いて思ったんですけど。正直、映画観るよりも先に漫画の方を読んでほしいですね。1巻だけでいいので。1巻の”あのシーン”の衝撃に耐えられる人は映画館へ、耐えられない人は観ないことをオススメします。

 

僕は1巻の衝撃に一度は打ちのめされ、続きを読むまでに3ヶ月かかりました。あの頃はまだ”耐性”が弱かったので。それでも、今は19巻(最新巻)まで読み進めてる熱烈なファンになりました。面白いですよー。人によってはトラウマになる可能性もありますが、面白いですよー。

 

ーーー。

 

さて、映画の話に入ります。

 

まず、はじめに。【実写化】というものハードルの高さは、もう皆さんご存知ですよね。今まで自分の好きな作品(漫画・小説)が実写化(アニメ化)されて「全然違う!!!」と、憤った経験のある方は少なくないと思います。また、憤るまで行かなくても、「うーん。。まぁ、これはこれでアリか」程度のクオリティの作品が多いのではないかと思います。今回のアイアムアヒーローも、原作が原作なだけに期待よりも不安が大きかったです。でも実際に映画を観たら、そんな期待も不安も全部まとめて『フッ飛ぶ』くらい大満足の出来でした。

 

そもそも実写化において何よりも重要なのが「誰が演じるか」ですよね。作品の満足度は、ここで8割決まると言っても過言ではないでしょう。でもキャストが発表された時、僕は安心しました。主人公が大泉洋さん。これは、もう流石のキャスティングです。すぐに見えました。スクリーンの中で動く鈴木英雄が。ダブルヒロインのキャストも有村架純さんと長澤まさみさんという、なかなかの力の入れ様。まぁ原作ファンからすると(ちょっと美人すぎるんじゃないか?)とは思いましたが、スクリーン映えするという点では完璧な女優さん方です。そして、映画の中では期待を遥かに超える名演技。やっぱり実力派俳優さんたちはすごい。すごい。

 

そして、もう一つ。というか、主人公やヒロインよりも重要な役。この作品の”肝”である”ZQN”のクオリティについてですが。これが、もうね。

 

恐怖。恐怖。恐怖。です。

 

特殊メイクやCGを「これでもか!」と使い、基本の”動き”を各俳優さんが演じる形でしたが。これが、もうね。全員が完全なるZQNに変貌していました。めっちゃ怖い。めっちゃリアル。めっちゃ噛み付く。でも、だからめっちゃ面白い!この実写化に携わった方々、全員の原作に対する”愛”が伝わってきました。一切の手抜きなしです。

 

キャラクターもストーリーも、相当なレベルで原作に忠実に創られています。映画という短い時間での表現も、世界が崩壊していくスピードと上手くリンクしていてゾクゾクしました。絶対【続編】ありますよ、コレ。今回のを第1章とするならば、少なくとも第3章まではあります。(というか、やってください、おねがいします)

 

原作の方は、いよいよ佳境に入ってきました。死んだと思ってた人が生きていたり、絶対死なないと思ってた人があっさり死んだり、世界はすでに99%以上崩壊していて、そんな中でまだ生きている人たちは何を考え、どう動くのか。そしてこの作品に、花沢さんがどんなラストを描くのか。めちゃくちゃ楽しみです。それまでは死ねない。

 

あまりネタバレになるようなことは書きたくないので、この辺にしておこうかと思います。「グロテスクな表現・ホラー描写への耐性がある」と自覚している方は、どうぞアイアムアヒーローの世界へ行ってらっしゃい。ただしその後、すべての人間が怖く見えたり、肉料理が食べられなくなったり、悪夢にうなされたりするなどの後遺症を患っても、すべて自己責任ということで。

 

ーーー。

 

P.S.

君は、ヒーローになれるか。

 

www.iamahero-movie.com

 

 

君は自分の心臓の一部になってしまう音楽と出逢ったことがあるか?


僕はある。

タワーレコード難波店5F、
イベントスペースにて。

振り絞るように歌われた歌を、
噛み締めるように全身で聴いた。

バンド名は、tacica

01.サイロ
02.夜明け前
03.発熱
04.Butterfly Lock
05.DAN

約30分間のミニライブ。

それでも瞬きが見えるくらいの近距離で触れた彼らの音楽は、例え一曲、いやワンフレーズだけでも聴く価値は十二分にあった。

ライブとか、人が密集する空間が苦手だから基本的には行かないけど、それでもtacicaの音楽だけは“生”で感じたい。

前にも書いたけど、多分これからも何度も書くけど。彼らの音楽は墓場まで持っていきたいんだ。秘密とかじゃなくて、死ぬまで聴き続けて、死んだ後も聴いていたいと思える音楽。

聴き続けて5年くらい経つけど、一曲たりとも中途半端なものはないし、何度聴いても何度聴いても何度聴いても、まるで褪せない。

これはtacicaを聴く方なら解る感覚だと思うけど、例えば日常、例えば水、例えば空気。当たり前にあるから、それに飽きるとかはない。tacicaの音楽は、音楽でありながら限りなくソレに近い。

歌詞、声、メロディ。あと、説明できない何か。それらを毎回微妙に配分を変えながら曲が創られているという感じ。添加物、着色料、不純物など一切なし。完全無添加のオーガニックミュージック。

正直これ以上の熱量はこの世界にはないと思う。音楽が人間に及ぼす影響はこの世で最強レベルだよ、絶対。

 

最後に。

 

まだ心臓まで届く音楽に出逢っていない人に、いつか良い出逢いがありますように。そして既に出逢っている人は、その音楽を死んでも聴き続けられますように。

今は、そんな気持ちです。

君は優しいから病人になりたがる。

優しい人。

 

優しいねって、結構かんたんに云われる。

僕は、ぜんぜん優しくなんかないのに。

 

それなのに、何故だか僕は。

生まれた時から、優しい人だ。

 

みんなの目が節穴なのか。

僕の目がガラクタなのか。

 

どっちなのかは分からないけど。

どっちなのかを分かる必要もないけれど。

 

優しいって何ですか?

優しいって何ですか?

 

大事な疑問なので2回言いました。

 

とりあえず。

 

優しい人として生きてきて、

これといって得したことも損したこともないように思う。

 

ただ「そういう人」なだけで。

 

目の前で転んだ子どもに(大丈夫?)って声をかけたり。

忘れ物をした友達未満のクラスメイトに教科書を見せてあげたり。

家族が疲れている時に家事を代わりにしてあげたり。

 

別に考えてやっているわけでも

何か見返りが欲しいわけでも

誰に優しいって思われたいわけでも

 

ない。

 

その日、その時々の気分で。

まー、なんとなく。

あくびをする程度の感覚でやってるだけです。

 

だから逆に。

逆に訊くけど。

 

「みんなは優しくないんですか?」

 

優しい人に「優しいね」って云えるのに。

みんなは優しい人ではないんですか?

 

そんなはずはないですよね。

 

僕は誰かに「優しいね」って云わないけれど。

云う必要もないくらい当たり前の事実だから。

 

 

僕は数年前に病気になった。

最近流行りのメンタル系のやつ。

 

今は普通にしてるけど、

何かの拍子で終わってた可能性もある。

 

だから何だって話だけど。

まぁ要は、当時の僕は。

 

ここだけの話。

 

「病人になりたかったんだ」、、と思う。

 

優しい人。

 

云われ続けると結構しんどい。

 

それまでは無自覚だったんだけど。

 

20年間、僕に降り積もった「優しいね」が、

雪崩のように僕をのみこんだ。

 

そう、あの病気。

例えるなら雪の中。

真っ暗で、息苦しくて、感覚という感覚が消えていく。

 

半年間は、仮死状態が続いた。

 

あの場所から、どうやって戻ってこれたのかは。

記憶がほとんどない、ない、ない。

 

それ以前の記憶も、結構つぶれた。

 

今だからこそ、「あの時は」って話せるけど。

経験しなくてもいい経験だったようにも思う。

 

でも、優しい僕が、選んだ道だ。

 

何か、誰かに、伝えたかったのだろうか、僕は。

何も、誰も、変わらなかったけれど。

 

伝わったこと、変わったことがあるとすれば。

 

僕自身の内側だけに、「優しくなくても大丈夫」って。

心に通う血が変わった気がする。

 

それから気がついたら詩を書いていて。

 

これは自分から自分へのメッセージなのかもしれないな。

なんて、今、すごく適当に思った。

 

 

優しい人。

 

みんなの目には見えないけれど。

意外と、こんな感じだったりもします。

 

不幸自慢とかじゃないし、

教訓めいた何かでもない。

 

ただ5月は、春はいろいろ騒つくから。

 

こういう場所に、

こういう風に、

こういう僕で。

 

言葉を書いてみたくなるだけ。

 

花粉もだいぶ減ってきたし、

テンションは高くないけど、

僕は僕なりに元気です。

 

嫌なことも、最近はあんまりないし。

良いことは、最近はどんどん増えてきたし。

 

波は、人並みにありますけどね。

みんな、それぞれ。

普通に過ごせる日が、たくさんあればいいと思います。

 

最初にタイトルだけ思いついて。

思いつくまま書いてみたけど。

葉桜みたいなブログになった。

 

こんな感じで終わります。

 

今は不思議と、優しい気分。