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遠浅の死海。

文字の海に溺れて死にたい。幸福の国。

TLFJ.

変わらないために、変わり続けるために。

 

好きなバンドのLIVEって、どうしていつも最高なんですかね。

 

✳︎

 

あの日。はじめて彼らの音楽を身体で聴いた日。どうしようもない感動に襲われたことを思い出した。 

 

誰が最初に言ったのか。

 

tacicaの曲は、どれも褪せない』

 

確かにそうだ。新曲も旧曲もない。過去も未来も、彼らにはない。それはつまり、何時だって“現在”にいるということなのだろう。

 

日常を生きていると、何時の間にか日常に取り込まれて仕舞うのが人間の世界。その自分という日常を、◯か✖️かで評価するだけになる。そんなかさぶたみたいに固まった日常に問いを投げる、そんな直球で誰にも分からない答えを彼らは唄う。

 

何を書いてるのか分からない。
でも、それが本当なのだ。

 

✳︎

 

久しぶりに聴いた彼らの音楽は、あの日とは少し違って観えた。でもやっぱり、最高以外の何物でもなかった。

 

変化って、何なんですかね。成長も停滞も退化も全部。そのモノや、そのヒトの、そのトキでしかないじゃないですか。点と点と点でしかないじゃないですか。

 

時間というのは不思議なもので、水の流れに意味を持たせた。本当はそんなもの、あるわけないのに、ね。

 

今を生きる、とか言うと。急に俗っぽくてダサくなるけど。生きてるって事実は、常に今しかないんだよ。その当たり前を証明できるのは、本当に、今しかない。だから“今を生きる”って変な言葉だ。僕らの“生”は“今”にしかないのに。

 

そんなことを思いながらの2時間ちょっと。また行こうと思えた今が、ここにあります。変わらないために、変わり続ける。今日の僕も、いつかまた、きっとどこかで。

 

fin.

NOA.

少し前、万能細胞なる存在があるのかないのかで世間が一瞬にぎやかにやりましたが、今日は【万能才能】について書いてみようと思います。

まず"万能才能"とは何ぞや⁈っていう話ですけども、これはさっき僕が作った造語です。

 

さて。

 

とりあえず、順を追って説明しますね。

 

僕が物心ついた頃には既に、学校社会を中心に《個性》と《平等》が重要視されていました。この二つの要素はどう考えても両立不可能に思いますが、この矛盾した思想を善しとする風潮は未だ社会に蔓延しています。

 

まぁ、でも。

 

みんな本気で自分に個性があるとか世の中が平等だとかは考えてないですよね?(ね?)この思想はあくまでも"理想"であって、流れる雲をぼーっと眺めるくらいのテンションで付き合うのが正しいです。

 

ですが時々。

 

不思議なことに、個性と平等を両立させて生きている人を見かけます。人とは違う個性を光らせながらも、決して周囲に不平等を感じさせない"人間の亜種"ともいえる存在が。

 

彼・彼女らは一体何者なのでしょうか。

 

僕はそんな人間たちは一様に、きっと今の時代に特化した特別な才能を持っていると考えています。それが冒頭でも述べた【万能才能】です。

 

この能力は、決して大衆を魅了するカリスマ性やある分野においての一流の性質を孕んだ才能(俗に言う"天賦の才")とは少し異なります。

 

本物の天才というものが社会的な立ち位置でいうと上の上(悪くても上の中くらい)に位置すると仮定すると、万能才能を持つ人間は常に"上の下〜中の上"あたりに存在します。故に彼・彼女らは絶対に矢面に立つことはありません。組織においては幹部やナンバー2以上にはならないでしょう。

 

この「ならない」というのがポイントで、万能才能を持つ人間は、条件さえ揃えば本物の天才にも引けを取らないスキルを発揮できます。しかし、彼・彼女らにはそういう"野心"がないのです。というより、常に"安全地帯"から出ようとしません。そこが、この才能の真髄とも言えるのですが。

 

僕はこの万能才能を持つ人間こそが、混沌とした時代に生きる"真の勝ち組"だと思います。このご時世に人生に勝ち負けを謳うのも些か野暮かもしれませんが、事実、世の中には格差が存在し、学歴や肩書きで人生の質は大きく変わるのは確かです。

 

そんな生まれた環境や表面的な部分で人生を左右されてしまうのは、どうしても"両極端"に位置する人間です。万能才能を持つ人間は、この人生を左右されてしまう"危険な匂い"を敏感に察知して自分が一番安全に生きられるポジション、つまり"上の下〜中の上エリア"へ一早く身をおきます。

 

彼・彼女らの実態は、一昔前までは"器用貧乏"や"八方美人"と呼ばれてきた人種が、進化を遂げた姿であると推測できます。何でもそこそこ出来て誰にでも優しい人がそう呼ばれていましたが、彼・彼女らは社会生活において圧倒的に"損"をすることが多かったはずです。影ながらの努力やその成果に対し、妥当な報酬をもらえることも少なかったでしょう。

 

その悶々とした憤りを抱えながら十数年の時を経て、ついに自分たちの才能をコントロールすることに成功したのです。

 

SNSグローバル化の影響で【人類総監視世界】となってしまった今。余程の才能と運がない限り、目立つことはリスクでしかありません。しかし、あまり底辺に落ちるのも、それまたリスクが高いです。

 

となると。

 

今の時代で最もリスクが低いのは【ニッチ】な環境。それも平均よりも少し上に位置する【隙間】です。その事実に気づいている人は少なくはないですが、だからこそ競争率は意外に高い。万能才能を持つ人間は、この"隙間"に入るスキルが異様に高く、一瞬で人類滅亡するくらいの大事がなければ最後の最後まで生き延びることができるでしょう。

 

彼・彼女らこそが時代が生んだ"新人類"です。そして、ここまで黙っていましたが、僕もそのひとり(才覚者)です。

 

さぁ、みなさん。

 

新しい時代はもう既に始まっているのですよ。目に見えるものだけを見ている人はこれから来る荒れ狂う波に飲み込まれてしまうでしょう。僕は数年前から危険を察知し準備を始めていました。選ばれし人間だけが、正しく在れる"真に強い人間"だけが生き残る世界が、もう目の前に迫ってきています。このブログを読んでいる人たちはもう手遅れな人がほとんどかと思いますが、もし自分に万能才能があるかもしれないと少しでも感じている方。今すぐ準備を始めてください。今ならギリギリ間に合うかもしれません。共にこの混沌とした世界に打ち勝ち、僕らで素晴らしい理想郷を創っていきましょう。

 

 

 

p.s.
この文章は僕が酔った勢いで書いたものであり、支離滅裂で事実無根。完全なる嘘八百で構成されたオールフィクションブログです。何なんですか万能才能って。知りませんよ、そんな怪しい言葉。冷静になって読み返したら自分で苦笑いしましたよ。もともと何が書きたかったのかすら分かりませんが、あまり僕を知らない方にはヤバい人だと思われそうですね。みなさん、僕は真面目な好青年ですよー。ただちょっと時々妄想癖が暴走するだけですよー。一応弁解しておきます。これからもこのブログがどんな感じになっていくのかは、僕自身まったく予想がつきませんが、詩を書く僕の一面だけでなく好き勝手に書いていこうと思います。柔軟性があって物好きな方は、これからもよろしくお願い致します。


uka.

明けましてのブログ。(*告知もあるよ*)

明けたましたね、2017年。

めでたいことなので、無条件で様々なものを愛でたい気分です。

 

 

「年が明ける」って、

 

ただ日付が変わるだけなのに、すんごい特別なイベントみたいな空気になるから不思議ですよねー。フリーで仕事してる人(サラリーで働いてない人)とかは、そうでもないみたいですけれど。

 

SNSを使い始めてからは、割と毎年末「今年の総括!来年の目標!!」みたいなことを書いてましたが、去年は全く書かなかったです。というのも、去年は自分史上最高に地に足の着いてないまま過ごした一年だったので、総括も何も浮かばなかったんだと思います。でも、ほんと、いろいろあったんだけどなー。

 

その”いろいろ”は、区切りがついたものもあれば現在進行形で続いてるものもありますが、とにかく今年は去年をちゃんと踏み台にしてどこまで跳べるかが試される年になりそうです。

 

 

やりたいことよりもやるべきこと。

 

ちゃんと自立してる人からすれば当たり前すぎることかもしれませんが、僕は25年かけてようやく!そう思えるようになってきました。今まで恵まれた環境で生きてきたことを、去年のいろいろでまじまじと実感しております。

 

まぁ何にせよ、

 

あんまり先の事を考えてもしょうがないなって。人間の細胞は約3ヶ月で全部入れ替わるらしいので、今日から3ヶ月後の自分は別人なわけで。だから、3ヶ月以上会ってない人には「久しぶり」じゃなくて『はじめまして』と言うのが生物学的には正しいのかもしれませんね。

 

はい、話が脱線しました。

 

こんな感じで実生活でもSNSでも自分という存在がブレブレな僕ですが、まだ四半世紀しか生きてないので許してください。

 

 

という流れからの、告知です。

 

僕の第二詩集【蒼い世界の夜明け前】が、Atelier 3より刊行されます!(祝)

 

2016年の末に完成して、2017年の明けに世に放たれます!(祝)

 

▽表紙はコチラ

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この素敵な絵を描いてくださったのは、神戸在住の作家《 南 あやか 》さんです。(HP→minami-aaa

 

作品を通して”日常のひかり”を絵に残している方で、今回の詩集のテーマも丁寧に汲み取って描いていただきました。

 

感謝感謝でございます。

 

この詩集は、第一詩集【°F】を読んでくださった方に特に見てほしい作品ですが、初見の方も是非是非どうぞ。

 

詳細は、また後日お知らせします。

 

 

それでは皆さま今年もどうか。

斗掻ウカという”詩人格”を、よろしくお願い致します。

 

m(_ _)m

 

 

敗北の美学(男って馬鹿なんだから)

(前置き)

敗北には、その”人となり”がよく現れる。

 

 

最近たまたま見たテレビで、あるタレントさんがギャンブルについてこう話してて。

 

「いや、もちろん勝ちたいとは思ってますよ。勝ったらヨッシャー!ってなりますし。でも、こころのどっかで”打ちのめされたい”っていう、なんかこう、自虐的な快楽?みたいなもんもあって、それを求めてしまってる自分もいるんですよ」

 

僕はギャンブルは一切しないけど、”この感じ”は何故かすごく共感できる。これは僕が男だからなのか、僕が僕だからなのかはわからないけれど、前置きで書いた一文に要約されると思う。

 

敗北には、負けたその人の”美学”が強く現れる。

 

勝者ばかりがフィーチャーされてしまう世の中だけど、ほとんどの人は人生の中で”負けること”の方が圧倒的に多いはず。いわゆる(その他大勢)の一部になる方が。僕も今のところはその中にいるし、だからこそ僕にとってのリアルは勝利よりも敗北の中に在る。

 

勉強やスポーツ、容姿や資産、人間関係などなど。僕らは生まれた瞬間からあらゆるジャンルの競争の海へと放り出される。そして、よほどの先天的な優位性がない限り、否応なしに敗北を重ねていく。後に努力や運で多少の挽回はできるにせよ、無垢な頃に味わった”負けた”という記憶はずっとずっとその人の中に遺り続ける。

 

そんな鈍色の十字架を背負った僕らをカタルシスへと誘ってくれるものが芸術であると、僕は思う。そして、僕を一番はじめにカタルシスへと誘ってくれた芸術が少年漫画やアニメだった。あの仮想空間の中では勝者と敗者がハッキリと分かれている。主人公と呼ばれる者は必ず勝つ。その者に味方する者たちも含めて。

 

多くの人(特に幼い頃)は、勝者(主人公)に意識を向け、憧れるだろう。ONE PIECEの麦わらの一味しかり、NARUTOの木の葉隠れの里の忍者たちしかり。しかしながら、僕はそうじゃなかった。僕は昔から敗者側に立って、ストーリーを追っていた。主人公のライバルや絶対悪とされる敵こそが、僕を強くしてくれるヒーローだったし、ものすごく憧れた。

 

小さい頃から自分ではよく分からないまま「いい子だ、いい子だ」と言われ続けて、勉強もスポーツもそこそこ出来てしまった僕はそのまま「いい人」であり「優等生」になっていった。当時の僕はそれが心地よかったのだと思うし、そう在ることが僕であることなのだと思っていた。敗者や悪に憧れる感情を抱きながらも。

 

そして僕が20歳を過ぎた頃、急にメンタルがショートした。意識高い系を無意識に演じ続けてきた反動で、僕の感情エンジンは完全にエンストを起こしたのだ。この話は前にも何度か書いたし話すと長くなるので割愛するが、つまり誰もが一度は経験するであろう人生最大級の敗北・・【挫折】を経験したのだ。

 

それから半年以上、自分の部屋から出られなくなった。心も、はっきりと壊れる感触がした。意識が本当にモノクロになって、ほとんど死んでいるのと変わらない状態にまで陥った。その時の記憶はあまりないが。僕は、どこかで”安心”していた。生まれて初めて、ちゃんと”敗北”を味わえたことに。

 

幼い頃から敗者に憧れ、それに救われてきた僕だったが。負けることは醜く、自らの価値を否定するものという外部から侵略してくる概念に、いつの間にか覆われてしまっていたらしい。それは水と油のように、僕の中で対立を続け、容器が割れてしまうまで止めることはできなかった。

 

だから、取り返しがつかなくなる寸前まで追い詰められて、生まれてはじめて、僕は負けた。敗者になった。それは他人から見てどうこうという話ではなく、あくまで僕自身の閉じられた世界の話ではあるが。あの経験は自分の人生に於いて最大級に意味のあるものだと、心の底からそう思う。

 

それから何が変わったか。詩を書くようになったり、人付き合いが悪くなったり、サブカルやメンヘラというワードが日常の中に溢れたり。とにかく、まぁ、ちょっと変になった。もう、以前ほどいい人ではないし、優等生でもない。時々、壊れる前に戻りたいと思うこともあるけれど、遅かれ早かれ今と変わらない自分になっていたとも思う。

 

敗者とは、ひとりの人間を構成する上で欠かせない”要素”だ。

 

一度も負けたことの無い人間などいないだろうが、もしそんな人がいたらきっと、すごく薄っぺらい人間だろう。負けて、そこから立ち上がろうとした経験のない人、「逃げなかった」という記憶を自分の裡に持っていない人。そんな人は、きっと脆い。ツマラナイ。20歳以前の僕みたいに。

 

・・・。

 

あれ、、なんでこんな話になってるんだ、、?(・△・)

 

書き始めた時は、もっと、こう、かる〜い感じで、ペンパイナッポー!ペンペンペン!みたいなノリでまとめようと思ってたのに。いつの間にか超お堅い文章になってるじゃん。

 

あのですね、僕がこのブログで言いたかったのは、まぁ、アレですよ。

 

自分が死ぬ時は《道に飛び出した子どもをかばって死ぬ》とか《宿敵(いないけど)と決闘とかやって負けて死ぬ》とか、まぁ昔の漫画やアニメでありがちなベッタベタなスチュエーションで死にたいなーみたいなことを「男って馬鹿だよねー。」って感じで書きたかった、はずかったのに。

 

僕は小説とか漫画をかいても絶対に伏線は回収できないタイプの作家になるでしょうね。だから(と言ったらすごく語弊があるけども)詩を書いてるんだと思う。⇦あくまで僕の話ですよ。

 

最近、こういう長文を書いてなかった所為もあって途中から混乱してきますね、これ。来年からこのブログと並行して【LINEブログ】も始める予定なのに、先行き不安だー。

 

【URL】

http://lineblog.me/keita1991/

 

でも来年も書きたい時に書きたい様に書けるだけ全部を書いていくぞー、おー。

宇宙に浮かぶ天秤に乗って。

 
今日、面接に行ってきた。

でも、その場で辞退した。
 
 
僕は来年、《世界文庫アカデミー》という不思議な学校に通うことが決まっている。一年間、毎週”土曜日”に授業がある。
 

sekaibunko.com



ほとんど直感だけで入学を決めたけど、実際、今すごく迷いがある。学校に行くことに、ではなくて、なんというか、こう、漠然とした“何か”への不安。

家族のことや自分のこと。その他もろもろの突発的な出会いや感情のブレ。正直、今はめちゃくちゃしんどい。

何より“安定”というものに対しての曖昧な認知が、僕をそうさせているのだろう。

 
 

今年はいろいろあったから。
広告代理店を辞めて、バイトをしたり、資格を取ったり、自費出版で本を出したり、びっくりするような出会いもあった。後悔していることは何一つないけれど、それでも、なんか、『本当にこれでいいのか』って声が、いつも頭の中を反芻している。

僕は昔から【0 or 100】で物事を考えてしまう癖がある。世界は認識しきれないほどの多様なグラデーションで成り立っていることは分かってる。頭では。理想を叶えるには、理想以外の物事をひとつひとつクリアしていかなくちゃいけないことも。でも時々、理想なんて僕にはないんじゃないか?って思う時がある。それは砂漠の中で蜃気楼を目指しているような気分だ。昔からそう。本当に馬鹿だよなぁ自分って思う。

それなのに、そんな中でも歩き続けて、求め続けてしまうのだ。自分にとって特別な“何か”が“何処か”に在るような気がして止まないから。当然、そんな生き方は往々にして傷付くし、相当キツい。それでも僕はまた来年、《世界》に対して挑むのだ。
 
 
 

なんで?って訊かれても。
しらん。って答えるしかないけれど。

今はまだ守りにはいる時じゃない。
攻めないと。ダメなんだって。

僕にしか分からない感覚を信じて、信じて次に進むしかない。
だって、今までもそうしてきたから。
 
 
 

いつまでこんな青臭い戯事を言い続けるんだろうって。いつになればこんな自意識の渦から抜け出せるんだろうって。ほんと、自分でも笑えてくるけど。真剣に、真っ直ぐにしか生きられない人間だから。しょうがないよね、きっと。うん。

アカデミーを卒業する頃には絶対に、『今までで最高の一年だった』って、自然に言えるようになっていたい。まぁ、なってなくても、それはそれでいいんだけどね。意気込みとしては、そんな感じ。
 
 
 

でも確かな事が、ひとつある。
自分で自分を( ツ マ ラ ナ イ 人 間 だ )って思いたくはないんだよ。
虚勢でも何でも、自分で自分を楽しめる人でいたい。
それがとりあえず、今の夢。

自分が大好きなんだなー、僕は(´ー`)

 
 


冒頭の話に戻るけど。
あの面接、辞退しなければ多分受かってた。そしたら来年からは、僕の口座に毎月25万円が振り込まれる。資格を取ったり、仕事ができるようになれば給与は上がる。残業代やその他の制度、福利厚生も申し分ない。家族や友人にも自立していると胸を張れる。
ただ、”土日”があまり休めない。それだけ。
それだけの理由で辞退した。
世界文庫アカデミーという、不確かな未来を優先したのだ。
 
 

馬鹿でしょ?笑

社会ナメてるって思うでしょ?笑

家族や若さに甘えてるって思うでしょ?笑

うん。まったくもってその通りだし、僕も心底そう思う。それでも『土日の休みは保証できませんけど、大丈夫ですか?』って訊かれた時に、すぐに『YES』と言えなかった事実だけが現実だから。何かを自分で選ぶってことは、多分一生、そういうことだから。


 
 

あー、なんか疲れたなー。

帰りの混んだ電車の中。正面扉のガラスの中にスーツ姿の自分が映る。似合ってないね。そうでもないよ。イヤホンから流れる声が、当たり障りのない癒し。これからみんなで家に帰るね。これからみんなは家に帰るね。ため息をうっかり吐きそうな彼を見て僕は、『大丈夫だよ』ってエールを贈った。
#詩
今日もみなさん、お疲れ様です。
 
 
 
 
P.S.
僕の一番好きなバンドの、僕が一番最初に出会った曲。
僕が詩を書くきっかけは、おそらく彼らの言葉と音楽。
それくらい影響を受けて、日常の節目に必要な熱源だ。
なんとなく来年の自分に、この歌を聴き続けてくれと。
今日の12月の帰り道で、そう強く心に響いた冬の事。
 
 
 
 
この歌がきっと、僕にとっては全ての始まりだったから。

--- この世界の片隅に ---

観てきました。

 

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前評判がすごくすごく良い作品だったので、

 

期待値を上げに上げて映画館へ足を運びました。

 

で、「なるほど」と。

 

納得し、感動しました。

 

 

 

 

つよくもたくましくもない女性が、

強く逞しく生きていく話。

 

異常が日常に、

知らず知らず変化していく話。

 

あの時代が特別”そう”だとは思わないけれど、

それでも”そういう時代”が日本にあったこと。

 

つい数十年前に現実としてあったことが、

ひとりの女性を通して鮮やかに描かれていました。

 

 

 

 

僕は戦争をテーマにしている作品は、映画に限らず、あまり見返さない。でもこの作品は、きっとまた観ると思う。良い映画だからとか、忘れちゃいけない内容だからとか。そういうことじゃなくて(そういうことでもあるけれど)、なんとなく、人間の出会いでも「あー、この人とはまた会うだろうなぁ」って思う時ってあるじゃないですか。そういう感じです。それは自分との”相性”みたいなもので、”もう一度”を自然と望んでしまう関係性。毎日じゃなくていい、むしろ毎日はちょっと嫌だ。死ぬまでにもう一度、それから何度か。そういう距離感で求めるもの、求めてしまうものと、僕は一つでも多く出会って生きたいなと思う。

 

 

 

 

戦争のシーンや空襲の音、

原爆などの描写が苦手な人でなければお勧めです。

 

あと、のん(能年玲奈)さんが好きな人は絶対!

絶対に観てくださいね。

 

 

 

 

おしまい。

y o u r n a m e .

記憶。

当たり前のように、僕らを意味するもの。


忘れたくないことは、きっと大したことないことで。

忘れてしまうものほど、きっと、忘れちゃダメなものなんだろう。

いくつになっても、やっぱり「奇跡は綺麗なんだ」と思っていたい。

何度か泣きそうになる自分を、複雑な心境で眺める自分がいたりする。



───やっぱり、最近。むかしの自分に戻ってる。


ただ寄り道をしていただけかもしれない。

別に決められたルートなんて無いけれど、やっぱり、最近。

 

“戻ってきてる”感覚はある。

でも。

落としてきたものも、
                        きっと、
                              多分、たくさんある。

それは絶対、取り戻せないもので。だからこそ、僕を形作る何かであること。それは確かだ。



『僕らは、本当は、命が始まった瞬間からの全ての記憶を頭のどこかで憶えてるんだって』

 


今はもう、顔も名前も思い出せない友達から聞いた話。

 

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記憶を喪失していくことは、
なんだろう。。

さびしい?むなしい?かなしい?

ですか?。

だから、僕にとっての君は誰だ。
そういう話になってくる。



───やっぱり、最近。むかしの自分に戻ってる。



物語は繋がりで、その色とりどりの切れ端で、かけがえのない奇跡でしょう?

誰かに思いを伝えること。
誰にも伝わらなかった思いのこと。

どちらも何気ない、唯の奇跡でしょう?

美しいと思える時間と日々は、涙と隣り合わせの世界に在るから記憶。

喪失なんて、僕らには一つもないんだな。

君の名を、いつか呼ぶ時。

ほら、前前前世から届く声が、頭のどこかで記憶になるんだ。