遠浅の死海。

文字の海に溺れて死にたい。幸福の国。

暁に凪ぐ。

春だから。

 

この季節は誰もが何かと春にかこつけて、胸のざわめきや、言いようのないもやもやを桃色の花弁に紛らせ、散らしていく。

 

特に今年はみんな、自分が白か黒かも分からないまま、オセロゲームの盤上で身動きがとれずにいるみたいだ。

 

それでいて、いつか来る「その時」に怯えているような、どうせ来る「その時」を待っているような。

 

そんな春。

 

 

 

僕が春に抱くイメージは破壊と再生で、これには共感してくれる人も多いんじゃないだろうか。

 

破壊も再生も、フィクションの中ではとても心魅かれるファクターだけど、いざ自分事となると、なんとも不安で仕方がない。

 

実際このイメージは、僕にとっては限りなく現実に近くて、花粉も相まり、春はあまり好きな季節じゃない。

 

加えて、今年はこの有様である。

 

 

 

もっと言えば、個人的にも今は自分史上最大級の人生設計再構築期間に突入しているので、今、マジで中身がぐちゃぐちゃで、例えるなら蛹の中身よろしく状態なのだ。

 

したがって、今、どうしようもなく防御力が落ちている。全方面において。体力も、心なしか余裕がない。

 

だからなのか、今更あんな言葉にこれほど傷ついたし、あんな風に胸が痛かったのは、かなり久しぶりの感覚だった。

 

それでも、ほんの少しだけ嬉しかったのは、自分の感情に血液が流れている事を実感できたこと。怒りの感情を、美しく捉えられるようになっている自分を知れたこと。

 

そして、やっぱり“言葉を大切にしたい”と、心根から思えたこと。

 

 

 

繊細さは、資本主義社会において足枷でしかないと思ってきたけれど、この足枷こそが僕の武器なのだ。

 

この武器で、大切な人やモノや場所を護れるような人間になりたい。

 

ぐちゃぐちゃになりながらも、一瞬見上げた空に応えるように、一人、そう思った。

 

 

 

 

人が人を思うというのは、美しくもあり、非常に厄介だ。

 

僕は厄介なことには首を突っ込みたくない性格なので、あまり美しい人間ではないと自負している。

 

だから、今まで基本的に、ずっと自分の事を思ってきたし、自分の事を考えてきた。こういう人間を一般的にナルシストと呼ぶらしい。

 

だが、僕は人について思うことが苦手なので、人からの思いにもとても鈍感で。

 

それによって得をする時もあれば、当然、損をすることもある。まぁ、個性というのはそういうものだ。

 

 

 

 

春はきっと、僕が捉えきれないほど一瞬の夢で、あくびをして、涙を拭う頃には向日葵が微笑みかけているだろう。

 

そして彼らは無自覚に、答えのない問いを投げかけてくるんだ。

 

だから、ただ優しくて、でもまだ力のない新芽はしずかに嘆く。

 

時間がない。

 

時間がない。

 

時間がない。

 

時間がない。

 

それは命が燃えている証でもあるけれど、有り余るエネルギーが行き場を求めてさまよっている音でもある。

 

若いって、ただの概念。

 

数字なんて、ただの記号。

 

希望なんて、絶望ごっこの口直し。

 

わかってるよ。わかってるから。言葉が追いつかなくて苦しいのだ。

 

それでも、1歩。

 

自分の手足で、心と体で、前へ進む。

 

もう二度と、手遅れになってから大切なものに気がつくなんて嫌だから。

 

来年の春は、新しい芽で真っ直ぐ桜を見れるように。

 

僕は、もっと、高く飛びたい。

曇天に霹靂を。

日曜日の午前10時。天候は雨。

 


今日は友人と昼食を食べる約束があったので、それまでの時間つぶしにと、最近openしたカフェ"ブルーボトルコーヒー京都六角"に行ってきた。

 


正直、ブルーボトルコーヒーという名前は全く聞いたことがなかったが、コーヒー好きの間ではそこそこ有名なブランドらしい。

 


僕は普段からスタバやドトールなどによく行くタイプではないので、こういった"シャレたカフェ"に行く時は少し緊張する。(特に注文時)

 


店の前まで行くと、日曜の朝にも関わらず既に数人の行列ができていて少し驚いた。

 


店舗は2階建てで、1 Fが受付レジで豆やタンブラーなどを販売している。テイクアウトもできるようで、それを待っている人たちも多かった。店内で飲食希望の人は2 Fに席がある。

 


店に入ると感じの良い男性スタッフさんが丁寧に注文を聞いてくれた。僕が明らかにブルーボトルコーヒー初心者だと察したのか、エスプレッソとブレンドの違いから食事メニューのオススメなどもガッツリ説明してくれた。ありがとうございます。

 


僕は今回、ケニアのコーヒーとワッフルを注文。支払いまで済ませると2 Fに通され、そこでコーヒーを受け取るシステムのようだ。2 Fはコの字型のスペースで、キャパは20人ちょっとくらい。京都だからなのか、店内は町屋を改装したような和洋折衷デザインでいい感じ。客層は国籍も老若男女も問わず、様々な人たちで賑わっていた。

 


適当に空いている席に座り、待つこと5分。プラスチックのような透明なコップに注がれたコーヒーと焼きたてワッフルが席に到着。どちらも優しい味でホッとする。

 

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しばらく本を読んだり、ブルーボトルコーヒーについてググッたりして時間をつぶしていた。調べてみると、このブルーボトルコーヒーは5年前に日本に初上陸したらしい。今は主に東京中心に店舗があり、関西にはまだ、この京都六角カフェ含め3店舗のみ。

 


個人的な感想で言うと、スタバやドトールタリーズなどのコーヒーチェーン店の中では1番好きだな、と思った。ここは席数が少ないので時間帯によっては座れないかもしれないし、座る席や時間帯によってはあまりゆっくりはできないかもしれないが、割と近いしまた来てみたいと思える店だ。

 

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ブログを久しぶりに書きたくなったのも、居心地の良さがそういう気分にさせてくれたのかもしれない。まだ春というには肌寒いが、最近やたら眠たくて、ぼーっとすることが多い中でブルーボトルコーヒーは柔らかな刺激を与えてくれた。気がつくと雨も止んで、いつの間にかスッキリとした日曜が始まっていた。

井の中の蛙大海を知らず、されど

 

空の青さを知る人よ。

 

「空の青さを知る人よ」の画像検索結果

 

観てきました。

 

結論から言うと、しんのが好かん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

...と、観賞後の感想としてはホントにこれ以上でも以下でもない作品でした。

 

なんと言うか。僕はあの花が大好きなんですよ。だから、あの感動をもう一度!みたいな作品を期待していたんですが。

 

これはね、圧倒的に10代〜20代前半向けの“作画”と“キャラ”と“雰囲気”で魅せるタイプの映画でしたね。(※筆者は28歳)

 

だから、もし僕があと10年、いや、5年若かったらグッときていたのだろうけど、アラサー男子にちょっと物分かりが良すぎるストーリーかなぁという印象です。

 

 

「あの花」の画像検索結果

 

一旦過去を思い出させていただきますが。

 

あの花の何が素晴らしかったって、まず第一に「めんま」の絶対的なヒロイン像が確立されていたことと、そのめんまを中心としたセカイ系超平和バスターズの一人一人にガッチリと結びついていたことで、作品のテーマがブレずにラストのあのシーンで視聴者をカタルシスへと導いてくれた点なんですよね。

 

確かに、あの花はクオリティが高すぎたので、それと比べてしまうのは少々酷だとは思いますし、僕のピュアさもあの花視聴時とは比べ物にならないですが、そのことを踏まえた上でもね、この「空の青さを知る人よ」は余りにも“没入(はい)れ”なかった。

 

何が一番の原因だったのかを考えると、僕は“作品テーマを欲張り過ぎた”ことかなと思います。単純に僕のキャパが追いついてないだけという可能性もありますが、少なくとも「で、結局のところどうなの?」みたいなモヤモヤが残ったのは事実です。

 

僕が感じたこの作品に詰め込まれたテーマは「中学生特有の行き場のない情動(進路・恋・都会への憧れ)」「家族のあり方」「タイムリープ(過去と現在との対比)」「音楽(バンド)」「三十路の面倒臭い人間関係」「SF」..などなど。

 

なんだか、あの花・ここさけ以上のものを作らなきゃ!みたいなプレッシャーと焦燥が滲み出たまま完成を迎えちゃった感がすごいある。

 

個人的にはもっとテーマを絞って、1点集中のホームラン狙いの方が良かった。いろんな伏線?とか、サブキャラの中途半端な物語への介入によって、もともとテーマが散らかり過ぎてるのにストーリーが進むにつれてどんどん作品が薄味になっていった。

 

もう鑑賞中の半ばくらいから若干批評モードで観てしまっていて、一応ラストまで一発逆転を期待して観ていましたが、おいおいおい、そこでそうなっちゃうんだ?!え、これで終わり?エンドローーール!!(終)って感じで、しかもエンドロールの演出も「えー、まじかー」みたいな無理やりくっつけたパズルを見せられてる気がして、なんかもう、全体的にアレでした。

 

もちろん、部分的にはグッとくるシーンとかはあったんですが、如何せんそれぞれのキャラの背景とかストーリーが刹那的過ぎて、、

 

だからこの作品は、映画じゃなくてワンクールのアニメ作品として出した方が魅力が増したんじゃないかと、むしろリメイク版としてそっちver.を観たいですね。

 

ただ、一言でまとめるなら、僕はしんのみたいな男は好かん。

 

僕にとって、この作品はそれに尽きます。

 

「空の青さを知る人よ」の画像検索結果

 

先日のJOKERに引き続きこんなブログになってしまいましたが、別に僕は批判したくて映画を観てるわけじゃなくて、むしろ作品に対する期待値が高いからこそのモヤモヤなので、もしお気を悪くされた方がいれば、その辺ご理解いただければと思います。

 

また昔みたいに心から震える作品に出会えますように。

悪の純度。

「ヤバイ」「ヤバイ」と評判のJOKER、観了。

 

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んー。なんとも...というのが正直な感想です。

 

前評判が盛り上がりすぎて自分の中でハードルが激上がりしていたことや、そもそもバットマンを全然知らないことや、僕の感性がひねくれてることなんかが原因かもしれないが。

 

とりあえず、なんの前情報も入れずに観たので、勝手なイメージとして「バットマンっていう映画の中に出てくるジョーカーっていう悪のカリスマが生まれるまでの衝撃的ストーリー」みたいな作品だと思ってたけど、、まぁ確かにそうだったのかもしれないけど、個人的には物足りない。

 

僕はフィクションの中では割と悪役に惹かれることが多くて(ワンピースでいうところのクロコダイルとかドフラミンゴとか)、別にこの作品に少年漫画的要素を期待していたわけではないが、少なくともそういう“正義と対立しながらも圧倒的な力とセンスで世界を蹂躙していく悪のカリスマ爆誕劇”みたいなものを期待していた。

 

けど、これってさぁ。

 

単に超絶不幸な星の下に生まれただけのチョット頭はおかしいけど根は純粋な普通の人間の“ドキュメンタリー番組”にしか思えなかったんだよね。

 

フィクション作品にはさ、もっと意外性とか非現実さとかがスパイスとして欲しいわけですよ。それなのにJOKERにはそれが無い。ただ最低な世界で最低なことが起きて当然主人公も最低な気分になって、そんな時にアメリカという社会に生きていれば特段珍しくもないであろうキッカケを手に入れ、そしたら「そりゃそうなるわな」って感じのシーンが淡々と続いていくだけ。

 

主演のホアキン・フェニックスをはじめ、その他の俳優の方々の演技はとても素晴らしく、その点に関しては魅入っていたが、ストーリー的には不完全燃焼。

 

少なくとも僕は、この映画を観ただけではJOKERにカリスマ性を感じなかった。

 

はじめに言ったように、僕はバットマンそのものを全く知らないし、アメコミ作品自体あまり興味がない。じゃあなんで観たんだよ、と思うかもしれないが、そんな僕でも震えるような作品かもしれないと期待させるような感想が多くあったから観た。結果、拍子抜けした。そんな感じ。

 

だんだんJOKER批判みたいになってきたのでこの辺にしておこうと思うが、この作品を「衝撃的」とか「圧巻」とか「ヤバイ」と言っている人達にどこがどう衝撃的で圧巻でヤバイのかを聞いてみたい。嫌味とかではなく、ほんとに。

 

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最後に劇中の台詞から。

 

狂っているのはこの世界か。それとも僕か。(うろ覚え)

 

百聞は一見に如かず

、、と言うけれども。

 

 

昨日、3年ぶりに服を買った。

3年前に転職してから、ほとんど私服を着る機会もないままに忙しなく労働にあくせくしていたが、最近ようやく余裕(と言えるほどのものではないがスキマ時間)が作れるようになってきた。

 

石の上にも三年。

 

今では割とバカにされがちな諺だけど、あながちバカにできたものではないなと、今なら思う。正直僕もバカにしていた側だが、昔から言い伝えられてきた言葉というのは、意外と真理を突いているのかもしれない。

 

そんなことを考えながら、近所の大型ショッピングモールに来た。

 

 

昔からファッションは好きだ。

だから学生の頃はアパレルショップにもよく行っていた。

 

ただ、僕は(というよりほとんどの人がそうだと思うが)店員に話しかけられるのが大の苦手だ。それと、試着している時にカーテンの外から聞こえてくる「どーですかー?」という謎のプレッシャーも、購入した後の「入り口までお持ちします」という中途半端な気遣いも。なんならアパレル店員そのものが苦手だ。

 

3年ぶりにあの感じを味わうのかーと小さく覚悟を決めて目当ての店に入った。

 

ぶらぶらと店内を物色すること2〜3分。(さぁ、そろそろくるぞ)と思いながら気になったコートを手に取り鏡の前で軽く羽織った。(さぁ、こい)

 

すると背後から「サイズとか合わなかったら他のもお気軽にお試しくださいね」という声。

 

(ほら来た)あ、ハイ、アリガトウゴザイマス。

 

・・・。

 

あれ、もう終わり?試着室への案内とか、他の商品の提案とかしてくるんじゃないの??まぁ、たまたま控えめな人だったのかも。と思いながら物色再開。

 

10分くらいかけて気になるものを数点見つけたので、いざ試着しようと思って商品を抱えて店内をキョロキョロうろうろ。

 

僕の記憶通りなら、この状態でアパレル店内をうろつけば、全身に生肉を括り付けてピラニアのいる水槽に飛び込んだ時と同じような現象が起きる。

 

・・・はずだった。

 

けど、一向に誰も話しかけてこない。近寄ってもこない。絶対に彼らの視界には入っているのに。

 

無反応なら、それはそれで別にいいんだが、いざ声をかけられないと(試着室って勝手に入っていいのかな、、)と不安になったので、結局自分から話しかける羽目になった。

 

そして案内されている途中も店員は特に話しかけてこない。違和感を覚えながらもスマートに試着室に誘導され

 

「では、ごゆっくり」

 

静かに閉まるカーテンを見ながら狐につままれたようだった。

 

 

持ち込んだ服を順番に着比べながら(もしかしたら、僕の記憶が大きく改竄されていたのかもしれない。。なんか、警戒心全開で無愛想な客を演じてごめんなさい)という気持ちになった。

 

その後も、結構長いこと試着室に入り浸っていたと思うが(僕は昔から試着が長い)、一向に何の声も聞こえてこない。何ならカーテンを開けて出た後も、特に店員はこちらに寄ってくる気配もないし、何事もないように服をたたんだりうろうろしている。

 

何かがおかしい。

 

いや、これは僕がおかしいのかもしれない。往々にして人間の記憶というのは曖昧で、いつも大げさに編集されるものだから、3年前も、実際こんな感じだった、、のかも、、とも思ったが。

 

否!

 

多少大げさに記憶が改竄されていたとしても、ここまで客に無関心だったはずはない!

3年前は、絶対もっとグイグイきてた!

 

ということは、この3年でアパレル業界が変わったということになる。

 

だとしたら素晴らしい変化だ。うん、素晴らしい!(謎の上から目線)

 

今回僕が入った店は3店舗だったが、どの店もほぼ今書いたような対応だった。

 

もちろん、購入後に入り口までお持ちされることもなかった。

 

 

ここでタイトルに戻る。

 

百聞は一見に如かず、と言うけれども。

 

本当にそうだな、そうだよな。と、心から実感した。

 

3年も経てば中1が高1になっている。そりゃアパレル業界も変化・進化しているのは当然だ。

 

けど、もし仮に、僕がこのまま10年以上服を店で買わない人生を送っていたとしたら、きっと僕はアパレルショップに対して嫌なイメージを持ったままオジさんになっていただろう。

 

たかが服を買いに行くという何でもない行動でも、今回のような新鮮な気づきを得られたことが何だか嬉しかった。

 

また行きたいと思った。

 

加えて、いつも休日はYouTubeTwitterと漫画と自炊で消費してしまっていたが、もっと外に出なければマジで時代の匂い分からなくなるなと、危機感も若干芽生えた。

 

せっかく京都という素晴らしい土地に住んでいるのだから、もっと動いていかないと。

 

百冊の本を読むのもいいけれど、一日外出した方が学びがある場合もあるのだから。

 

 

というブログ。

 

さて、新しい服と気づきをまとって、今年の秋はどこへ行こうか。

宇宙よりも遠い場所

アニメの話。

 

夏の名作を「あの花」とするならば、冬の名作は間違いなく「よりもい」だ。

 

ãå®å®ãããé ãå ´æãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

放送されていたのは今年の1月から3月。

リアルタイムでは観れていなかったので、半年遅れでの鑑賞。

 

━━結論から言うと、めっちゃ泣いた。胸が震えた。

 

アニメ作品でここまで感動したのは「あの花」以来だと思う。

しかも、感動レベルは個人的にはあの花以上。

 

まだ未観の人には期待値上げすぎと思われるかもしれないが、大丈夫。

 

少なくとも、あの花で泣いた人は絶対に好きになる。

DVDとかグッズとか買っちゃう。

 

さっき全13話を鑑賞し終えて、どうにかこの気持ちを残しておきたい!

それと、まだ観てない人がいたら絶対に観てほしい!

という気持ちで書いてるけど、言葉にするとうまく伝わらない。

 

とりあえず、僕なりにストーリーの導入部分を簡単に説明してみる。

 

主人公は玉木マリ(キマリ)、小淵沢報瀬(しらせ)、三宅日向(ひなた)、白石結月(ゆづき)の4人。

 

キマリは「青春っぽいこと何かしたい、ここじゃない何処かに行きたいと悩む」ちょっとビビりな普通の女子高生。卵料理が好き。

 

報瀬は3年前に南極で消息を絶った母親(貴子)を探すため、自ら南極に行くことだけを目標に生きている変人美人。正義感と意思は誰よりも強い。

 

日向はキマリ・報瀬と同い年だけど高校に通っていない、明るい性格のコンビニ店員。頭が良く、ムードメーカー。報瀬にも負けない努力家。

 

結月は3人よりも1つ年下で、子供の頃から芸能活動をさせられているアイドルタレント。特殊な育ちからかものすごい人間不信。慎重な性格。

 

もともと「絶対に南極へ行く」という目標は報瀬ひとりのものだった。

 

しかし、報瀬の不器用ながらも真っ直ぐすぎる想いが、それまで全くの他人だったキマリ・日向・結月を不思議な力で繋げていく。

 

とまぁ、あとはそれぞれの理由と過去を胸に、全員で全力で南極を目指して行く話。(ざっくり)

 

ほんとは主人公の4人全員、一人一人についてびっしりと長文を書きたい気持ちですが、それは野暮なので今日は控えます。

 

というか、それくらい名作には名キャラクターが必須で、そのためには監督さん・声優さんはじめ、各部門の制作スタッフの高いスキルと強い思いが必要だと思っていて(偉そう)この作品にはそれが全部そろってるんです。

 

それに、個人的には観る前のイメージと観た後の実感とのギャップがすごくあった。

 

作品のタイトルとかテーマとか絵のタッチとか、なんとなく“ゆるふわ日常系”かなぁって思ってたのが、実際はかなり“現実”を真剣に見つめた作品で、でも観る前のゆるふわなイメージも作品の要素としては確かにあって、むしろそれがちゃんとあるからこそギャップを描いた時に最大限に効果が発揮されるのだと思うし、何より人物の心象がものすごく丁寧に描かれていて、特に何と言っても報瀬のあのシーンには絶対数えきれない人が救われたと思うし、泣いたし、報瀬だけじゃなくてキマリも日向も結月も、今ここには書いてない実はこっそりキーパーソン的な役割を担ってるキマリの幼馴染で親友のめぐっちゃんとか、民間南極観測隊の藤堂さんとか前川さんとか、本当にもう登場人物全員が確かに“生きてそこにいる”って感じがギュンギュン伝わってくるから、嬉しいとか苦しいとか悲しいとか最高とかいう感情という感情が自分の中に当たり前のように入ってくるんよね。あ、それとそれとOPEDも曲・映像共に最&高だからそれだけでも名作感伝わるからまずは、それだけでも見t.kudasiii…

 

はーーー、、ここで一息。

 

で、これも個人的な意見だけど。

 

この作品のテーマは表向きは「青春」だと思うんだけど、裏テーマがあるとすれば「砕氷」だと思う。

 

南極には氷を砕きながら進む「砕氷船」っていう超カッコイイ巨大な船に乗って行くんだけど、その船の進む様が、僕には主人公たちが一歩づつ、不器用でも真っ直ぐにぶつかりながら前へ前へと進んで成長して行く様子とリンクしたんだよね。それを強く思ったのが、第11話ラスト数分のあのシーン。まさに砕氷船そのものだった。

 

そんな感じで短くまとめようと思っていたのに長々と書いてしまいました。

 

あまり僕は自分の好きなものを人にオススメとかしないタイプなんだけど、これは本気で全人類に勧めたい。

 

きっと今から“よりもい”を観るアナタも、観終わった後は僕と同じ気持ちになるはず。

 

これも普段は滅多に言わないことだけど、マジで観ないと人生損してるよ!!

 

ではでは、僕の拙いレビューはこの辺で。

 

ãå®å®ãããé ãå ´æãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

ありがとうございましたー❄︎

血の通ったアスファルト

想像していた丁度2倍かわいくて、

想像していた丁度3倍カッコ良かった。

 


はい。

 


結論から先走ってしまいましたけど、要するに、ついに行ってきましたよ。

 


FINLANDS『BI TOUR ONEMANLIVE』 in OSAKA。

 


いやー、最高だった。

出来ることなら毎週行きたいくらい。

 


とまぁ、普段は出不精で感情の起伏が極めて薄い僕が珍しく心を揺さぶられたので、その熱が冷めないうちにブログに残しておきます。

 


今日のライブハウスは大阪駅から徒歩数分の場所にある梅田シャングリラ。収容人数は300人超で、名前とかけてあるのかシャンデリアと、何故かミラーボールがあった。

 


前置きとして、そもそも僕は人混みが大嫌いだから、好きなアーティストがいても余程の魅力を感じない限りはライブには行かない。

 


だから今までライブに行ったことのあるアーティストは3組だけで、FINLANDSは“ライブに行きたい”と思えるほど好きになった4組目のバンドというわけだ。(※どーでもいい情報)

 


僕がFINLANDSを知ったのはyoutube。特徴的な声質と印象的なビジュアル。つかみどころの無い歌詞が心地の良いリズムに乗って、頭の中を通り抜ける。けれど、彼女らの音楽は決して頭を素通りすることはなく、僕の内側にざらついた余韻を残していった。

 


そのざらつきの正体は何なのか。

 


FINLANDSの音楽にヤラれてしまった僕は、その違和感を確かめたくて何度も何度もリピートした。何度も何度もリピートしたが、聴けば聴くほど分からなくなって、苦しくなって、どんどん好きになってハマっていった。

 


ほんと、形容しがたい不思議な魅力を持ったバンドだと思う。

 


ボーカルの塩入冬子、ベースのコシミズカヨ(ぽんこつ先生)、サポートメンバーのギター、ドラムの4人で奏でられる音楽は、素人目から見てもバランスが取れていて、静かな曲も激しい曲も完成度が抜群に高かった。

 


約2時間のパフォーマンスはとてつもなく濃厚で、それでいて相当にクールだった。この人たちは、FINLANDSは、本物だなと、今日のライブで確信した。

 


で、突然の宣言だけど。

 


僕は人に寄り添う音楽が嫌いだ。

答えが決まってる音楽が嫌いだ。

 


なんてことを、ライブ会場で音楽を聴きながら何故か考えていた。

 


それから。

 


『血の通ったアスファルト

 


なんとなく、そんなフレーズが頭に浮かんだ。

 


自分でも、意味はわからない。

 


音楽とかアート作品に対して好き嫌いを公言するのは野暮だとは思うし、今から全然関係ない事を言うけど、彼女らの音楽や人間性の根底には“都会の中に息づく木々”が見えたんだよね。

 


は?って思うでしょ。

僕も思う。

 


だってFINLANDSの二人は、曲間のMCでは実に淡々としていて、けどそれがめちゃくちゃ人間だなぁって感じたんです(語彙力)。

 


このままだと脱線して大事故になりそうなので無理矢理まとめに入りますけど、真剣に何かと向き合ってる人っていうのは、絶対に周りの人間にその体温・熱が伝わっていくものなんだなって。

 


軽々しく命賭けたりしないんだなって。

 


そういう話で終わろうと思います。

 


毎度好きなもののプレゼンが恐ろしく下手な僕が徒然と久しぶりに書いてみました。

 


・・・秋ですなぁ。